2020年01月31日 1610号

【社会は変えられる 重度訪問介護の支給時間数増 MDSの皆さんとともに】

 重い障害を抱える当事者として、地域の支援者とともに当局と交渉し重度訪問介護時間増をかちとった大阪市在住のMDS(民主主義的社会主義運動)メンバー、中村啓子さんに報告と思いを寄せてもらった。

 「重度訪問介護」とは、肢体不自由の障害者および一部の知的障害者の方にも適用される施策の一つです。とくに常時介護を必要とする障害者向けにつくられた制度で、食事・排せつ・入浴などに関する身体介護、調理・洗濯・掃除などの家事援助、買い物や社会参加等のための外出支援を一体的に行うものです。

 私は、1983年に同じ重度障害者の男性と結婚して、初めは2時間の訪問介護を週2回しか受けられない劣悪な生活状況のなかで、多くのボランティアに支えられてきました。1990年には出産。その頃は、週18時間の国のヘルパー制度と月153時間の大阪市独自制度(全身性障害者介護人派遣事業。現在は廃止)を利用していました。

時間不足でつらい思い

 さまざまな法改正を経て、重度訪問介護ができてからは、この制度にもとづくヘルパー派遣中心に生活してきました。でも、決して私たち夫婦が必要とするだけの派遣時間が保障されていたわけではありません。夫とお互いの時間を合わせ(301×2=602時間)どちらかのヘルパーが家事をすることでなんとか生活を成り立たせてきました。ところが、夫が2013年に急死してから、一層厳しい介護体制での生活を余儀なくされました。

 例えば、時間数の関係で夕方から夜にかけての介護者がいないため、お昼に用意していただいた夕食のギョーザを食べようと思い、電子レンジに入れましたが取り出せずに床に落ちてしまいました。その日に食べるものは他になく、床に落ちたものを食べることになってしまったことも。

 インフルエンザに罹(かか)った時は、夕方から翌朝まで誰も来ない日でした。39度の熱が出て、水分補給もできず、処方された夜の薬も飲めず、一日だけでもいいので入院させてくださいと言ってもさせてもらえませんでした。今思い返せば、いやになるほどつらい思いをしたこともありました。

後押しとつながりの力

 私自身、これまで幾度となく居住する住吉区役所・大阪市役所の担当課に出向き、生活の窮状を訴えてきました。しかし、まったく誠意ある対応をしてもらえず、介護体制を改善できる見通しが持てない状況でした。精神的においつめられているなかで、MDSとつながるご縁がありました。「平和と民主主義をともにつくる会・大阪」で私の状況をお話したところ、皆さんが共感し、協力したいと言ってくださったことがとてもうれしかったです。

 昨年7月、区役所・市役所への私の交渉に、MDSの皆さんも同行。ともに訴えていただき、その結果、11月の終わりごろ、重度訪問介護の支給時間数がそれまでの月301時間から月411時間にまで増加しました。110時間分、ヘルパー派遣に使える時間が増えたことになります。一度の交渉で110時間も増えるというのは、これまで経験したことがない変化です。私自身とても驚き、うれしく思いました。

 一人では突破できない壁も、たくさんの人の後押しとつながりがあれば、現状を変えていけるのだと改めて学びました。一人ひとりの思いが強ければ強いほど、社会を変えていく力になるのだと気づきました。

 私が今後直面する「65歳問題」(障害者施策から介護保険制度への移行によって、尊厳ある生活は一層制約される)についても、あきらめることなく行政に対してきっぱりとNOを訴えていこうと思います。



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