2020年01月31日 1610号

【日韓ユース平和参加団in済州(下) 分かり合う関係から 共に闘う仲間へ】

 日韓の青年が共同して平和の取り組みを進めようと1月10日〜13日、韓国済州島でフィールドワークに取り組んだ。昨年の沖縄に続く2回目、日韓の青年たちは「分かり合う」ことから「ともに闘う」関係へとステップアップした。

 「今日の体験、印象を象徴する感情をひと言で表現し、説明してください」

 2日目の夜のワークショップ。メンバーは紙片にその日の「感情」を書き留めた。フィールドワークで回ったのは旧日本軍アルトゥル飛行場周辺と済州4・3平和記念館。植民地時代の強制労働や解放後の虐殺の実態を学んだ。

共感と協同

 「無情」「恐れ」「驚き」など簡潔な言葉が並んだ。「ウルブン」と書いた韓国の青年は「ウルダ(泣く)とブンノ(憤怒)の造語です」と説明した。日本の青年は「あまりにも残忍な悲しすぎる過去」と表現し「終わらない過去」に言及した。4・3事件の全貌が未解明で、適切な名称を定められないこと、旧日本軍基地跡の畑が再び基地に変貌する恐れがあることをあげ、「いつまでこんなことが続くのか。私たちが平和のために頑張らねば」と話した。

 メンバーは自分が書いた紙片を日韓で交換し、「感情」を分かち合った。

 ワークショップは次のセッションに移っていく。2つのグループに分かれ日韓青年の抱える課題と解決策を討議。労働、文化、生活など多方面にわたり互いの悩みを語り、解決の糸口を話し合った。

 長時間労働や性差別、学歴差別を課題としたグループは、「すさんだ生活から逃れるため、より悲惨な者の存在を作り出す。差別があると安心する状況に置かれている」ことを認識し、社会に伝えること、資本と人の支配関係ではなく、人と人の関係作りが重要だとまとめた。

 もう一つのグループでも差別が課題に挙がった。韓国の青年は「失敗を許されない社会の中で夢を失っている。簡単に差別が引き起こされる」と言った。日本の青年は、社会的テーマを扱う文化・芸術が避けられる傾向があることを切り口に「仕事がきつく、心に余裕がなくなり、人に対しても文化に対しても『逃げる』方向に心が行ってしまうのでは」と思いを語った。

 解決策は簡単ではない。だが糸口はある。「私たちを苦しめてるものは何かと考えることだ」とまとめた。

 青年を取り巻く状況は労働、教育、文化など、どの分野でも日韓の違いはほとんどない。解決に向けた闘いもまた、ともにできる。

連帯を深め共闘を

 フィールドワークの共通体験を連帯感に高めるのに、夜のワークショップは効果的だった。1日目の夜は、各自の参加目的、テーマを共有しあった。「自分自身の平和は世界の平和であること」「未来は自分たちで決める。自治意識を学ぶこと」

 そして最終日は、参加者全員がフィールドワークで印象に残ったもの・風景を描き、絵巻物を仕上げた。初めて日韓ユースの取り組みに参加した日本の女性は「歴史の勉強ではなく、命の勉強をした」との思いを表した。最終日、12mに及ぶ絵巻物は済州道庁の玄関前に広げられ、日韓の連帯を示した。

 戦後最悪とまで言われる日韓関係の中でも、韓国青年の日本に対する関心は高い。通訳のドンソクさんは1980年代後半の「日本文化解禁」が大きいという。88年生まれの彼自身、NHK日本語放送を見て、10代から独学で日本語を学んだ。基地建設反対のために韓国本土から済州島に移住して7年。現在、放送大学で日本学を学びながら、通訳、翻訳の仕事をしている。

 最年少のパク・ジミンさん(19歳)も日本語が話せる。日本アニメの影響からか漫画作家を夢見ていたが、最近は韓国の埋もれた優れた作品を発掘する漫画評論家をめざしている。

 解団式で企画を担った日本のメンバーが発言した。「前回の沖縄では日韓青年が仲良くなることがテーマだった。今回は共にいるのは当たり前。では一緒に何をするのかを考えるツアーだった。共に闘える力になった」

(終)



MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS