2020年02月21日 1613号

【非国民がやってきた!(324)国民主義の賞味期限(20)】

 ドゥルーズ=ガタリは、プロレタリアによる階級闘争、マイノリティによる公理闘争(諸権利や等価交換を求める闘争)、そして動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)による政治哲学(哲学の政治化)に順次焦点を当てました。

 ドゥルーズ=ガタリは「68年5月の思想家」と呼ばれるため、佐藤嘉幸と廣瀬純によると「ドゥルーズ=ガタリは68年5月を三度、再領土化する。『アンチ・オイディプス』では過去の上に、『千のプラトー』では現在の上に、『哲学とは何か』では未来の上に。過去からの革命、現在での革命、未来への革命」と言うことになります。68年5月とはパリ68年革命運動のことです。

 第1段階の議論を見ていきましょう。

 『アンチ・オイディプス』の基本テーゼは「世界のすべては欲望のフローから構成されている」というものです。世界を構成する無数のフローが接続されるというイメージで、これを「欲望諸機械」と命名します。欲望諸機械は連結と分離を繰り返し、エネルギーのフローを切断し、生産と消費を繰り返します。

 ドゥルーズ=ガタリによると、資本主義下におけるオイディプス化は欲望諸機械の徹底した生産性を抑圧します。欲望の生産の働きを抑圧し、従順な主体、つまり「服従化された主体」を形成することによって、権力が社会を再生産するためです。「欲望は、もしそれが脱領土化されればたちまち権力を転覆してしまうような、強度的力能を持っている」からです。

 ドゥルーズ=ガタリの欲望諸機械と利害の論理は、ロシア革命の分析を通じて現代革命の戦術論を展開することにつながります。「過去からの革命」論です。「革命の帰趨が搾取され支配されている大衆の利害だけに結びついている、ということは明白極まりない。問題は、この結びつきがいかなる性質のものなのか、という点にある」として、「レーニン的切断」としてのロシア革命を準備したのは「欲望、砂漠としての欲望、革命的欲望の備給」であり、これこそが「資本主義をその下部から掘り崩す」と言うのです。

 搾取されているプロレタリアが直ちにブルジョワジーに敵対するのではなく、利害ではなく欲望の水準で、プロレタリアから分裂者(スキゾ)が割って出ることが必要になります。レーニン的切断を超えて、欲望的生産に依拠した分裂者による主体集団の実現に立ち至る二重の切断(革命)の過程が不可欠だということになります。ドゥルーズ=ガタリは、前衛党やプロレタリア階級などの社会主義運動の要素の実効性を評価し、階級利害の現勢化の必要性を認識しつつ、階級利害に囚われるのではなく、欲望的生産に従う「主体集団」の構築を展望します。

 佐藤と廣瀬は、ドゥルーズ=ガタリの論理にレーニン的切断の二重の不可能性を確認して、議論を進めます。
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