2020年02月28日 1614号

【議会を変える市民と変える/東京都日野市議・有賀精一/台風19号 都内唯一の死者】

 昨年10月12日、台風19号が伊豆半島に上陸し、東日本一帯に甚大な被害を与えました。4か月経ちましたが、日野市での体験を報告します。

 日野市は12日午前9時に浅川流域の浸水危険区域に居住している約1万1000世帯、2万7000人の住民に対し避難勧告を発令しました。小中学校17の指定避難所に最大時約8600人の市民が避難しました。日野市政56年の中でも初めての出来事になったと思います。

 被害は死者1名(多摩川河川敷生活者)、床上浸水1棟、床下浸水15棟、下水管の吹き出し1か所、道路冠水数か所。日野橋が橋脚沈下のため通行不能となりました。

 台風の経路予想から避難準備など事前の対応を取ることができ、市職員も総出で対応に当たり、障害者・要介助者の連絡や避難のサポートにも必死で取り組みました。

 また、福祉避難所の開設、ペットの同行避難、獣医の皆さんによるボランティアのペット見守りなども取り組まれ、過去の経験も踏まえた改善が随所で実施されました。

 もちろん、今後の検討課題もたくさん出てきました。今回の台風による避難を通じて豪雨災害にどう対応するのか市も市民も多くのことを体験し学んだと言えます。豪雨災害が決して他人事ではないと自覚したに違いありません。

 台風の場合はある程度予測が可能ですが、地震はそうはいきません。住民の命とくらしを守る取り組みにも向き合った対応が問われています。

 さて、最後になりましたが、都内で唯一の死者と報道された日野市のOさんのことについてお話します。

 彼は多摩川の河川敷で長年、野宿生活をしていました。私はボランティアでパン配布をしており、亡くなられる1週間ほど前に彼にパンを配布し、いつもの通り会話を交わしていました。

 過去に増水を何度も経験している彼は今度も、木に登りしがみつけば大丈夫と考えたのでしょう。しかし、70歳をとうに過ぎた彼にはその筋力や体力もなかったのかもしれません。返す返すも残念でなりません。

 河川敷生活者、ボランティア関係者、市職員の皆さん列席のもと、荼毘(だび)に付す炉前でお別れの会を開き、それぞれOさんの思い出を語っていただきました。後日11月21日、市営の無縁墓地に納骨し、ご住職にも読経をいただき、Oさんの霊を弔いました。
MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS