2020年03月27日 1618号

【1618号主張/「コロナ対策だから仕方ない」の危うさ/独裁に道開く「緊急事態宣言」】

「今はない」と言うが

 新型コロナウイルスを新型インフルエンザ等特措法の対象に加える「改正」法の施行を受け、安倍晋三首相が記者会見を行った(3/14)。同法にもとづく「緊急事態宣言」については「今はそうした状況ではない」と認めつつも、「必要であれば手続きにのっとり、実行する」と述べた。

 一気呵成(いっきかせい)の宣言を避けたのは、安倍が今夏の東京オリンピック開催に固執しているからである。「ギブアップ」と諸外国が受け取ることを恐れたのだろう。しかし、「緊急事態宣言」が法的に可能になった事実には変わりなく、その危険性を軽視してはならない。

報道統制が可能に

 首相の「緊急事態宣言」を受け、都道府県知事は外出自粛や、学校・映画館など多くの人が集まる施設の使用制限を要請できる。実質的には禁止命令といえる。移動の自由や集会の自由が制限される影響は大きい。海渡雄一弁護士が指摘するように、「誤った政府の政策に対して、集会で抗議できなくなる」(3/14東京新聞)のである。

 また、特措法ではNHKが「指定公共機関」とされ、政府対策本部長(総理大臣)がこの機関に「必要な指示をすることができる」と規定されている。宮下一郎・内閣府副大臣は、民放テレビ局も法的には「指定公共機関」に指定できるとの国会答弁を行った(3/11衆院法務委員会)。

 つまり「緊急事態宣言」の発令によって、政府は報道機関に直接介入し、報道内容を変えさせることが可能になるということだ。安倍政権が広めたい情報だけが報道され、都合が悪い事実は隠蔽される―。独裁国家並みの情報統制だ。

「例外」が当たり前に

 「緊急事態宣言」には人びとの意識を操る意図がある。国家権力が「不安のスイッチ」を入れることによって、日常を「例外状態」に変えるという効果だ。この「例外状態」(緊急事態も非常事態も非常時も同義)の下では、通常では認められない権利や自由の制限が正当化される。「この時勢だから仕方ない」という論理によって。

 すでに、法的根拠のない首相の「全国一斉休校」要請が実質的には命令として機能し、自治体や市民を従わせている。「自粛」の基準を政府に求めるという倒錯した現象すら生じている。国会においては、立憲民主党などの野党が賛成に回る大政翼賛会的な状況下で、ろくな審議もないまま「緊急事態宣言」を可能にする特措法が成立した。

 今回のコロナ・ショックを利用し、安倍政権は人びとを「緊急事態」に慣れさせ、改憲のハードルを引き下げることを狙っている。「憲法改正の実験台」とはそういうことだ。「緊急事態宣言」の発動を許してはならない。

   (3月15日)
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