2020年04月24日 1622号

【未来への責任(296) 軍艦島の事実を消し去る施設】

 3月31日、東京の総務省第2庁舎別館で「産業遺産情報センター」の開所式がひっそりと開催された。

 このセンターは元々「韓国側の主張を受けた朝鮮半島出身の犠牲者を記憶にとどめるため」(3/30産経)に設置されるはずだった。ところが、その中では「先の大戦中を軍艦島で過ごした在日韓国人2世の男性が生前語った『周囲の人にいじめられたことはない』とする証言など、元島民36人の証言を紹介」(同)。日本人以外にも賃金が支払われていたことを示そうと「三菱重工業長崎造船所(長崎市)で働いた台湾人元徴用工の『給与袋』などの遺品」も展示されている。何のことはない。同センターは結局、「朝鮮半島出身者が差別的な扱いを受けたとする韓国側の主張とは異なる実態を伝える」(同)ための施設となってしまった。

 これで、韓国の強制動員被害者、ユネスコが納得するわけがない。

 端島(はしま)炭鉱(軍艦島)に動員された徐正雨(ソジョンウ)(1928年、慶尚南道<キョンサンナムド>生まれ)は次のように証言している。「14歳の時、役場から徴用の赤紙が来た。名古屋に父母、佐世保に親戚がいて逃亡するつもりでした。端島で米糠(ぬか)袋のような服を与えられ、日本刀をさげた者が命令した。うつぶせで掘る狭さ、暑さと疲労で眠くなり、生きて帰れないと思いました。落盤で月に4、5人は死んだ。食事は玄米20%に豆カスの飯。鰯(いわし)を丸つぶしたおかず。毎日のように下痢し衰弱しました。仕事を休むと監督のリンチでした」(長崎市史編さん委員会編『新長崎市史』第4巻、2013年)。

 また、NHK連続TV小説『スカーレット』主人公・川原喜美子のモデルと言われる陶芸家の神山清子は語っている。「父は炭鉱の工場長で、九州を転々としていました。私が小学生のころ、軍艦島の北にある孤島の高島炭鉱(長崎県)に、一家で強制的に行かされることになった。そこへ行ったら生きて帰ってこられない、地獄のような所っていううわさが広がっていました。ある日、学校に父が来て、先生にわけも言わんと私を連れて帰り、そのまま一家で逃げた」(3/27東京新聞『あの人に迫る』)。神山の父親は、厳しい労働に耐えられず炭鉱から朝鮮人たちが脱走した際に、その手助けをして警察に追われて炭鉱町を逃げ出したとも言われている(『婦人公論』等)。

 端島も高島も同じ三菱鉱業が経営する炭鉱だった。そこが「地獄」とも呼ばれるヤマであったことはよく知られている。「産業遺産情報センター」は、そこを極楽≠ナあったとでも言うのであろうか?

(強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク 矢野秀喜)

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