2020年05月08・15日 1624号

【新・哲学世間話(17) 「スペイン風邪」から見たコロナ】

 世界はこれまでも、たびたび感染症の爆発的拡大を経験してきた。そのなかでも、百年前ほど前に起こった「スペイン風邪」の大流行がもたらした悲惨な結末はよく知られている。

 世界中の死者は、少なく見積もって4800万人、多く見積もれば1億人と言われている。日本でも40万人前後が亡くなっている。当時勃発中であった第一次世界大戦の死者が、民間人を含めて1900万人であったのと比べれば、その被害の甚大さは驚異的である。

 この感染症は、最初1918年3月アメリカ、カンザス州の陸軍基地から始まった。それがまたたく間にアメリカ中西部に広まり、5〜6月にはヨーロッパ各国で爆発的拡大を見ることになった。大戦に参戦したアメリカが、次々と兵士をヨーロッパの前線に送り込んだ結果である。つまり、米兵の移動によって、感染の世界的爆発が引き起こされたのである。

 では、それがなぜ「スペイン風邪」と呼ばれるのか。事情はこうである。大戦に参戦中の諸国は、「士気が下がる」などの理由から莫大な数の「自国兵士、国民」の感染を徹底して伏せた。各国は徹底した情報統制をしき事実を隠蔽した。感染した最前線の兵士を救うことより、戦争勝利という「国益」を優先したのである。それに対して、中立国であったスペインでは、この感染症の流行について自由に報道ができた。その結果、「アメリカ風邪」であるはずのものが「スペイン風邪」になったのである。

 今、この歴史的事実からわれわれが得るべき教訓は、次のことである。感染症の大規模拡大は、ほぼ必ず、「国益」のための情報統制を伴うということである。

 戦争は情報統制と市民の行動規制を必須のものにする。そして、感染症の流行対策は、「平時」には不可能な情報統制と市民の行動規制を容易にし、正当化する。人びとは擬似的「戦時」に置かれ、理不尽な規制さえ是認する傾向が生まれる。このように、感染症対策は、国家権力主義者のお好みの国民統制や規制と非常になじみがよいのである。

 そうすると、トランプ米大統領やマクロン仏大統領が、そして安倍首相も、事態を「戦争」と呼びたがるのも理解できよう。彼らは、「国民の命と生活を守る」を大義名分に、「平時」には不可能な情報統制と行動規制を行使する権力を享受したがっているのである。

  (筆者は元大学教員)
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