2020年05月29日 1626号

【未来への責任(298) 朝鮮人犠牲者の名簿掲載へ(上)】

 日本製鉄釜石訴訟は、1997年9月に会社と和解解決し、その際、会社は犠牲者全員を釜石製鉄所の殉職者として認定し、遺族を招待して鎮魂社で慰霊祭を執り行った。私たちは、和解の継続事業として、地元の平和団体の市長交渉に同席し市長に直接訴えるなど、釜石市へ犠牲者全員の認定を働きかけてきた。

 釜石市は、長年の市民からの要請に応えて、2016年に「犠牲者特定委員会」を発足させた。1976年に発行された「釜石艦砲戦災誌」の犠牲者名簿に日鉄釜石訴訟原告らの父や兄弟の名前(創氏改名の名前)が掲載されていることは1995年の提訴の事前調査の段階で判明したが、駒澤大学図書館所蔵の、日本製鉄株式会社総務部勤労課作成の「朝鮮人労務者関係」の供託名簿に記録された全員が認定されてはいなかった。

 私たちは、2018年5月に正式に登録申請を行なった。調査でお世話になった郷土史家の昆勇郎(こんゆうろう)さん(故人)が残された資料の中から、「釜石艦砲戦災誌」発行時の調査資料を発見し、敗戦前後の市役所や釜石製鉄所の艦砲戦災犠牲者の資料の中に朝鮮人の記録を確認し、市役所に情報提供してきた。市も未掲載の朝鮮人犠牲者を調査対象に加えざるを得なかった。

 当初、釜石市の担当者は「市民団体の意向に沿って認定する」と回答したが、その後、直接担当していた職員が異動になり、新しい担当者からも一切経過説明はなく、約2年が経過した。そのため、進捗状況を改めて問い合わせしたところ、担当課長より「庁内で協議した結果、市としての方向性としては、行政として『認定』するからには、明らかな根拠を基に、諮問機関による意見等も踏まえて、慎重に判断すべきという判断に至っております。現在、前回の諮問機関であった委員会も解散した状態となっております。市長の意向としては、数年内に、艦砲戦災誌の改定版を発刊することを強く望んでおりますので、発刊に向け、名簿に追加すべき事案を検証する中で、諮問機関の意見を伺い対応させていただきたいと考えております」との回答があった。

 私たちは「市役所が取り扱いを変更したにも関わらず、問い合わせるまで申請者に何の説明もないのは行政機関としてあまりにも信義に反する」と厳重に抗議をするとともに、その背景を明らかにするために、「犠牲者特定委員会」や行政の公文書を情報公開請求することとした。 《続く》

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)

MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS