2020年07月17日 1633号

【沖縄恨之碑の追悼会 死者たちの声を心に刻む 魂の怒りは止められない】

 6月20日、読谷村(よみたんそん)瀬名波にある沖縄恨(はん)之碑で14回目となる追悼会が開催された。今年は新型コロナウイルスの影響でプログラムなど規模を縮小したが、当日は約70名と予想を上回る多くの方が集った。

 沖縄恨之碑の会共同代表・安里英子さんは開会にあたり「多くの慰霊祭や追悼会が自粛される厳しい状況の中、お集りいただいた方々に深くお礼申し上げたい」と切り出した。「朝鮮半島から強制連行された多くの先人たちが犠牲となった沖縄の地に2006年恨之碑を建立し、14年を迎える。もっとも重要なことは、ここに集い、戦争で犠牲になった死者たちの声を心に刻むことではないか。私たちは強制連行という問題を通し、アジアやアメリカ市民、世界の皆さんと国際的に連帯する機会を得た。平和とは、そのような具体的な活動や市民のつながりの中で築かれていくものだと学んでいる」

 来賓あいさつで石嶺傳實・読谷村長は「75年前、読谷村の海岸からの米軍上陸で始まった筆舌に尽くしがたい凄惨な戦禍を経験し、平和の尊さを骨身に染みて知る私たち沖縄県民。思いを同じくする朝鮮半島の皆様とともに平和憲法の堅持と、二度と戦争を起こさない、戦争に加担しないことを、ここに改めて固く誓う。現在も基地あるがゆえの凄惨な事件が起きてしまう現実は、『恨』の言葉に込められた、長きにわたり朝鮮の民衆の中に蓄積されてきた恨みや怒りなどの感情と同様、踏みにじられてきたウチナーンチュの魂の怒りを誰も止めることはできない」と力強く述べた。

 恨之碑像を制作した読谷村在住の彫刻家金城実さんは「読谷村の地に4つの戦争にまつわる記念碑がある。それは、チビチリガマ、艦砲ぬ喰ぇー残(ぬく)さー歌碑、さとうきび畑の歌碑、恨之碑。読谷村というのは、平和を語るのに選ばれた大地ではないか」と語った。

 追悼会では、知花昌一さんらの読経と普天間基地・野嵩(のだけ)ゲート前でゴスペルを歌う会のメンバーによるゴスペルも披露された。

 最後は、碑の前にお供えされた重箱料理や果物・お菓子をウサンデー(お供え物をいただく)し、参加者皆で交流を深めた。来年は、沖縄に恨之碑が建立して15年目の節目の年を迎える。

(沖縄恨之碑の会・新垣仁美)

「恨之碑」とは、沖縄戦に強制動員された元朝鮮人軍夫の呼びかけに応え、韓国英陽(ヨンヤン)と沖縄・読谷村に建立されたもの


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