2020年07月24日 1634号

【哲学世間話(19) 田端信広 /「黒人の命も大切」に潜む差別】

 今年の5月、ミネアポリスで起こったジョージ・フロイドさん殺害事件への抗議行動は、一気に全世界に広がった。今、世界の各地でBlack Lives Matter(ブラックライブズマター)≠フプラカードが掲げられている。このBLMという言葉が最初に発せられたのは、2012年である。この年の2月、フロリダ州で起こった、自警団による黒人高校生のいわれなき射殺に抗議して、3人の黒人女性がSNSにこの言葉を書き込んだのが最初だという。この言葉自身もまた、今日に至るまで長く語り継がれてきたのである。

 このスローガンを、NHKはじめ多くの日本のメディアが「黒人の命も大切である」と伝えたことに、異論、批判が起こっている。

 差別されてきた当事者である黒人が、「黒人の命も」と語るのはよく理解できる。この「も」は、現存する差別を告発、糾弾している。だが、その告発者と立場を共有していない者が、とくにメディアが中立的な態度で「黒人の命も大切である」と語るとき、そこにはある種の違和感が生じる。

 この場合、「も」は、いかにも付け足し感がある。「も」は、元来、事が派生的、副次的であることを表すものである。すると「黒人の命も」と語ること自体が、すでに差別感情を含んでしまっている。

 それに対して、「すべての人の命は大切である」、だから「黒人の命も大切である」と言うのは正しい、と主張する人がいる。だが、これは何も語っていないのに等しい。BLMはなにも人命一般の尊重や人権一般の尊重を訴えているのではない。それは、人種差別が引き起こした殺人事件を糾弾し、同様の殺害事件が後を絶たない絶望的な現実を告発しているのである。

 だから、そのように「も」を語る人は、「差別」という問題の核心を意図的にそらし、その意味を痛くもかゆくもない「人命尊重」という「一般論」に解消しようとしているのである。

 そう考えると、「黒人の命は大切である」もまた、言葉だけとれば一般論に回収されかねない。問題を直視し、重視している多くの人の心情を汲めば、「黒人の命を軽んずるな」のほうがぴったりするだろう。

 BLMには、今回の事件だけでなく、止むことのなかった長い黒人差別の歴史に対する怒りが込められている。スローガンはその思いを適切に体現するものでなければならないだろう。

(筆者は元大学教員)
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