2020年07月31日 1635号

【非国民がやってきた!(335)私の中の植民地主義(1)】

 「非国民がやってきた!」という問題系は、「国民国家―民主主義―資本主義―植民地主義」を芋づる式に引きずり出します。

 西欧諸国が生み出した近代民主主義は、資本主義と植民地主義という培養土の上に花開いたのです。近代イデオロギー、つまり啓蒙と科学と人間性の深奥に植民地主義が胚胎しました。人間性と人格を析出した啓蒙のプロジェクトは、同時に植民地の「土人」を人間に教化する「普遍的理念」として機能しました。「普遍」と称しながら極めて特殊な差別イデオロギーです。

 近代科学としての医学、生物学、人類学は「優生思想」を生み出しました。優生思想を人種・民族に当てはめた結果、ナチスドイツの強制収容所に立ち至ります。ナチスは崩壊しましたが、人種的優生思想は「白人優越主義」として生き延びました。

 優生思想を個人に当てはめれば障害者差別になります。ナチスの安楽死政策が有名ですが、日本の優生保護法が残した傷跡を強制不妊手術の責任を問う裁判に確認できます。

 家父長制が確立し、女性差別が再編され、定着したのも近代です。「自由・平等・博愛」のフランス革命の「人権憲章」は「人及び市民の権利」を高らかに謳い上げました。「市民」とは、言うまでもなく「男性市民」です。

 オランプ・ド・グージュは「人及び市民の権利」を批判して「女性の権利宣言」を書きました。これを持ってパリの国民公会に乗り込んだ彼女はギロチン台の露と消えました。フランス革命は男による男のための革命であり、女性差別イベントだったのです。

 「国民国家―民主主義―資本主義―植民地主義」の先には、優生思想と家父長制が待機し、人種・民族差別、障害者差別、女性差別が張り付いていました。

 ですから近代日本の「民主主義」――大日本帝国の疑似民主主義と日本国憲法の戦後民主主義には、植民地主義が影に日向にまとわりついているのです。

 日本列島に生まれ育ち、日本文化に染まり切った私たちは、それと自覚して徹底的に自己を問い直さない限り、フツーに植民地主義になるのです。戦後改革(現行憲法と戦後民主主義)においても十分な反省はなされませんでした。象徴天皇制や、沖縄の切り捨てや、在日朝鮮人差別をもたらした現行憲法体制です。

 もちろん、近代思想すべてを差別思想として真っ黒に描くことはフェアーとは言えません。植民地主義と奴隷制に疑問を呈した西欧人、優生思想に抵抗した人類学者、女性差別を克服しようとした男性思想家もいました。

 植民地主義に敢然と抵抗した奴隷、優生思想に抵抗した医師や市民、女性差別に異議申立てしたフェミニストたちが多数いたことを付け加える必要があります。反天皇制の闘い、沖縄の権利獲得闘争、在日朝鮮人の人権闘争があります。

 必要なのは、私の中の「植民地主義と反植民地主義」、「性差別と平等思想」の闘いをいかに把握するかという問いです。反差別の視座に立った市民こそが「私の中の植民地主義」を克服する主体です。

<参考文献>

オリヴィエ・ブラン(辻村みよ子訳)『オランプ・ドゥ・グージュ――フランス革命と女性の権利宣言』(信山社、2010年)
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