2020年08月14・21日 1637号

【余生も楽しく闘い続ける/岩国基地強化と重なる50余年/在日米軍の監視活動を行うリムピース共同代表田村順玄さんに聞く】

 極東最大の米軍基地岩国。その強化のプロセスに自らの人生を重ねる人がいる。前岩国市議会議員田村順玄(じゅんげん)さん(74歳)。岩国市職員となり、労働組合の役員を経て市議6期を務めた50有余年。反基地・平和運動の先頭にたってきた。今も在日米軍の監視活動を続ける市民団体「リムピース」の共同代表として闘い続けている。2020ZENKOin大阪のため来阪した田村さんに岩国基地の現状と闘いの抱負を聞いた(7月25日、まとめは編集部)。


極東最大の米軍基地

 山口県の東端、米海兵隊岩国基地は面積約800f。沖縄・嘉手納飛行場1900fの半分以下ではあるが、在日米軍機が120機、自衛隊機と合わせれば150機が使用する極東最大の航空基地だ。

 戦前は映画『この世界の片隅に』に描かれた広島県呉軍港と向かい合う海軍航空隊訓練用飛行場だった。敗戦後占領軍が接収、朝鮮戦争(1950年〜53年)、ベトナム戦争(64年〜75年)、湾岸戦争(90年〜91年)などの出撃基地となった。

 

 田村さんに反基地・平和運動の来歴を聞こうとした。「敗戦の3日前、8月12日に中国・満州で生まれました」。原点はこれだ。口には出さないが、運命的なものを感じている。朝鮮戦争の頃、基地労働者が射殺されたり、米兵相手の女性が殺される事件が頻発。「高校生になる頃安保闘争があり、反基地の意識を持ちました。岩国市職員組合の書記長になったのは73年、27歳の時でした」。85年には委員長に就く。組合の中に作った平和研究所が反基地平和運動の砦となった。

 岩国基地が大きく変貌していくきっかけの一つは96年「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」合意。「世界一危険な基地」普天間飛行場返還の条件は、辺野古新基地建設だけではなかった。普天間基地から12機のKC130空中給油機を移駐、追加施設建設―岩国が新たな基地負担を受け入れることだった。

 田村さんが市議会議員に初当選した95年4月から1年半ほど経った頃だ。当時の井原勝介市長は新市庁舎建築費に国の補助金をあてにし、移駐を受け入れた。だが、SACO合意は06年「米軍再編ロードマップ」へと移行。今度は厚木基地の第5空母航空団を受け入れよと言う。

 この裏で進んでいたのが「滑走路の沖合移転」。爆音被害や安全のため基地撤去を求める住民の「悲願」をすり替えた。滑走路のための埋め立て承認申請書には接岸施設が忍ばせてあった。「工業高校の機械科を出たのですが、配属は土木課で港湾土木を担当してました。おかげで、水深13bの岸壁を見つけました」。8万d級空母の接岸が可能となる。田村さんが暴いた。

 215fの埋め立てと施設建設で1兆円の税金が投じられ拡張された岩国基地。18年3月、厚木基地から空母艦載機60機が移転、航空機は倍増した。岩国は極東最大の航空基地となった。

「愛宕山」とともに

 「沖縄も同じですが、防衛省は埋め立て用土砂を相場より高値で買います。生コンも現場にプラントをつくらず、地元業者から買います」。地元の懐柔策だ。警備船を出せば、漁以上の収入になる。毎日2千台に及ぶダンプが粉塵を巻き上げても住民の反対運動は広がらなかった。

 カネの力は自治をも破壊した。厚木からの移転に反対した井原市長は基地再編交付金を切られ予算案も保守議員に反対された。同市長は08年2月選挙にうって出たが敗れた。以来、「基地と共存」を掲げる現福田良彦市長により基地依存の行政が深まっている。「学校給食、小中学生医療費無料」も基地再編交付金をあてにしたもの。来年でそれも終わる。「何かを差し出さなければ、代わりの補助金は得られない。原発をつくり続けるのと同じです」と田村さんは警告する。

 今後の闘いについて抱負を聞いた。「市職で30年、議員で24年。もう余生ですよ。楽しく生きたいですね」。20代の頃から劇団に所属し海外公演の経験もある。文化奨励賞を受賞する実力だ。今も運営などで活躍している。だが、違った。

 「300万円でカラーコピー機を買いました」。隔週日曜日に発行している『おはよう愛宕山(あたごやま)』をカラー刷りにするためだ。文字情報がより豊かに伝えられる。「夜8時ごろ校了し、割付して寝てしまいます。朝起きると、出来上がっているんです」。B4版、約2000字。「連れ合いが0・2_のボールペンで清書してくれる。これが配れなくなったら、終わりかな」。基地周辺と愛宕山周辺の団地に3千部、配布するのもお二人だ。


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 愛宕山は基地拡張の埋め立て土砂採取場として県の住宅供給公社が購入、跡地60fは住宅地として分譲する計画だった。だが「宅地需要低迷による赤字」を理由に、12年に4分の3を防衛省に売った。4分の1には病院やスタジアム、公園などをつくった。市が「未来都市を建設」と宣伝した住宅地に米軍用住宅262戸が建った。出来レースとしか言いようがない。

 岩国基地の変貌を象徴する愛宕山。田村さんは、そこにある公園で月3回、「1の日」に「愛宕山を見守るつどい」を開いている。「いろんな団体が集まります。政党や党派を超えた総がかり行動、運動センターとなっています。100`b離れた山口市からも参加されます。情報を得ようとマスコミも来る」。茶菓子もでる。時にはおでんを囲む。この取り組みも300回を超えた。

沖縄の代替機能も

 岩国基地はSACO合意以降、辺野古より先に埋め立て滑走路と接岸施設の完成を見た。田村さんは言う。「沖縄・辺野古の工事が遅れても、米軍や日本政府は慌てません。それは、在日米軍の機能を岩国基地でほぼカバーできるからです」

 在日米軍、自衛隊が何をしようとしているのか、全国の情報を突き合わせる意味がある。岩国基地の動きを毎日監視し続ける田村さん。その情報は「リムピース」のウェブサイトに集約されている。「余生は楽しく」と繰り返す田村さんは満面の笑みを見せた。

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