2020年08月14・21日 1637号

【かながわ訴訟原告団長・村田弘さんに聞く 原発事故被害者は究極の棄民 国策を変革する避難者裁判 "隠す ごまかす 切り捨てる"はコロナも同じ】

 ZENKOin大阪に参加した福島原発かながわ訴訟原告団長・村田弘(ひろむ)さんに、福島の現状と全国の避難者の闘いについて聞いた。(7月31日、まとめは編集部)


■福島はいま、原発事故に関してどんなことが問題になっていますか。

 事故を起こした福島第一原発の廃炉の見通しは立っていない。デブリの撤去もままならず、再び大地震や津波が起これば大量の放射能が放出されてもおかしくない状況は続いている。汚染水は毎日生産され溜まり続けている。福島の約7割は山林で、降り注いだ放射能の一部は川に流れたが90%以上がその山林に残っており、土壌汚染は放置されている。

 フレコンバッグの除染土壌は中間貯蔵施設に運んで、30年後には県外搬出と言われたが、田中俊一前原子力規制委員長が「福島復興の最大の障害の一つ。他県には到底受け入れられない。改善される見通しが立たない」と語っているように、あきらめた上で、飯舘村(いいたてむら)長泥地区で畑の再生利用実証事業を進めている。内堀雅雄県知事も除染土壌の増加を止めるため、これ以上の除染はあきらめて帰還困難区域を解除していく方向を打ち出した。最近では、バイオ発電事業と言って、除染しないままに山の木を燃やしてしまう(放射能の拡散)実験も行っている。

 9年経って、被ばくを巡る環境は何も解決していないどころか、その処理に行き詰まってさらなる被ばくの危険性を生じさせているのが今の福島の実情だ。

■福島への帰還の状況は? 被害者救済に対する福島県の姿勢はどうですか。

 こんな現地の状況だから、帰還者は少なくほとんどが年配者だ。浜通りの避難指示解除地域では、居住率でも約3割にとどまる。以前は原発事故前の住民がどれだけ戻ってきたのかの帰還率を出していたが、今は、廃炉作業員の移動なども加えた居住率で発表している。農業・林業が衰退した。商店も人口減少でやっていけない。帰った高齢者にとっては介護施設や病院は不可欠だが、空きはあっても働き手がいない。大切な地域のコミュニティー再建の見通しもなく、帰りたいけど帰れない状態にある。限界集落へ進んでいる。

 そこへ持ってきて、除染もしないまま帰還困難区域の一部解除にも踏み込んだ。被ばくによる健康被害などどうでもよいのだ。究極の棄民ではないか。

 強制避難者に対しても慰謝料、就業補償、住宅提供を終了させた。区域外避難者への唯一ともいえる住宅提供は3年前に打ち切り、引っ越しのできない避難者には明け渡しの裁判まで起こした。1年前までは有償契約を結んで入居していたが契約打ち切り後は行き場がなくとどまる者に、損害賠償として以前の家賃の2倍相当を請求した。ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)などで再三にわたって要請してきたが、コロナ災害下での不安定な生活の下でも、裁判の取り下げや2倍請求の停止には全く応えず、淡々と実務を進めている冷たさだ。

 オリンピックは延期となったが、当初予定通り避難者への諸施策をすべて終了する、要するに「もう避難者はいないのだ」「被害者への処理は終わった」というのが国と県の基本スタンスだ。

■損害賠償集団訴訟など、裁判は重要局面に来ていますが、焦点と課題は何だと考えていますか。

 損賠訴訟は今年から来年にかけ高等裁判所で続々結審、判決の山場を迎えている。国の責任を問う損賠訴訟は第1審で認定7つ、否定5つだが最近は否定の流れが強まっているので、高裁での9月30日の生業(なりわい)裁判判決、群馬訴訟、千葉第1陣訴訟の判決あたりが控訴審の流れを作ることになる。15メートル高の津波を予測した地震調査研究推進本部の長期評価が当時の知見としては合理的との見方が多数となってはいるが、国側の主張である結果は回避できなかった≠ニの逃げ道は詰め切れていない。どこまで予測できたかどうかにかかわらず、国の規制権限はあって、過酷事故となる原発の運用に高度の注意義務があるはずだ。法的責任が問われることからは免れないと思う。

 損害論は、賠償金の上積みをめざして、どうしても取れるための個々の訴訟技術論に走りがちな面も出てくる。京都訴訟団のアンケートなどでも明らかにされたように、長期の避難生活によって今でも約半数の避難者が精神疾患に追い込まれる可能性を抱えている。大変な人権侵害問題だ。国策の犠牲者であることの原点を再確認し、無過失責任を前提にした中間指針プラスアルファの基準ではなく、重過失責任において狂わされた人生の「落とし前」をつけさせなければならない。

 昨年、国の立法不作為や対策義務違反を初めて認めたハンセン病家族訴訟判決を読んでみたが、「らい予防法」成立の先行事実として社会的に偏見を蔓延させてきた、その隔離政策を戦争に向かう過程で「非国民」意識醸成へと発展させてきたという、歴史的な視点から裁判闘争を位置付けていたことに感心した。原発事故問題も、安全神話を国策として醸成し“隠す、ごまかす、切り捨てる”の3原則で進めてきた。だから、集団訴訟は国家犯罪・国家の失政を裁くところから、エネルギー政策の根本にまで踏み込み変革する意義を有した裁判であることに立ち戻る必要があるだろう。

 今でも被害は続いている。健康・汚染問題など、裁判で解決できるものでもない。集団訴訟の個別の成果を一つ一つ重ね、それをテコに政府のエネルギー政策変更につなげてこそ裁判闘争が生きてくると思う。7月29日の「黒い雨訴訟」は解決まで長すぎたが、放射能被ばくの線引きを不当とし被ばく手帳交付を認めた点、集団訴訟で闘っている区域外避難者にも大きな励みになると思う。

■コロナ災害の下での闘いの視点は。

 コロナ災害に対してとっている国の姿勢は福島原発事故と全く共通している。“隠す、ごまかす、切り捨てる”の3原則はここでも経験するところだ。みんなの健康や命は全くないがしろにして、弱者を切り捨てる。コロナ下で、休業・失業、引きこもり・自殺も広がっている。こんな中で、フクシマ・避難者問題は見えにくくなりがちだが、逆に、共通の問題として広く市民に拡がる基盤もあるのではないだろうか。

 「1強」などという虚構の陰で国政を私物化し、戦後民主主義の遺産を食いつぶしてきた現安倍政権は末期的症状を呈しており、今こそ「脱原発」「反核」「反公害」「反基地(沖縄)」の闘いを結んで要求に基づく共同行動をつくるチャンスでもあると思う。
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