2020年08月14・21日 1637号

【非国民がやってきた!(336) 私の中の植民地主義(2)】

 「非国民がやってきた!」という問題系は、「国民国家―民主主義―資本主義―植民地主義」を芋づる式に引きずり出す、と書きました。このことに半ば目を塞いできたのが、私たちの「戦後民主主義」なのです。

 「国民国家」が「非国民」をつくり出し、差別と排除の根幹であるにもかかわらず、「日本国民は」からその前文が始まる日本国憲法は「日本国民憲法」です。憲法第1条は国民と天皇が野合する契約条項となっています。

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)は、天皇の戦争犯罪を免責する根拠規定です。日本国民は「総意」で象徴天皇制を支えるのですから、天皇主義者でない者は「非国民」になるしかありません。

 西欧資本主義は近代世界の植民地支配体制をつくり出し、植民地主義の土壌にその文化と社会を培養しました。日本資本主義も、西欧諸国に遅れて植民地分割戦争に参加し、追いつき追い越せと焦慮にかられた膨張路線の末に第二次大戦の敗戦を招き寄せて破綻しました。しかし、植民地主義は無傷で残りました。

 日本植民地主義は朝鮮、台湾、南洋諸島等を喪失しながらも、その責任も倫理も問われることなく、資本主義と国民国家の背後に身を潜めることで延命しました。

 そこで一役買ったのが平和主義の憲法でした。侵略戦争を反省し、人民の無権利状態を反省した平和主義と自由主義の新生日本は、平和国家として国際社会に復帰します。戦後平和主義と民主主義の表看板を掲げることで、日本国民は天皇主義者のまま、植民地主義をひと時忘れたつもりになることができました。

 いくつもの欺瞞が裏側に張り付いていました。これまでに何度か指摘してきたように、第1に、日本資本主義の最初の植民地としてのアイヌモシリや琉球の意味をあいまいにしてきました。アイヌ民族や琉球民族への差別は是正されません。

 第2に植民地支配の帰結として生じた「旧植民地出身者」に対する処遇も、その歴史的存在や人格を無視する差別政策となりました。今日まで続く在日朝鮮人差別が代表です。

 第3に、9条の平和主義の裏側には日米安保条約という軍国主義が聳え立っていました。朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争等々と続くアメリカの戦争に日本は基地提供国、資金供与国、掃海艇派遣国として、そしてイラク戦争には陸上自衛隊の派兵国として全面協力してきました。

 こうした欺瞞的な「戦後民主主義」を思想的に準備し、正当化し、大きな影響力を誇ったのが丸山眞男でした。丸山眞男が戦後民主主義の理論的支柱に据えたのが福沢諭吉でした。私たちはいまだに「丸山眞男=福沢諭吉の世界」を生きています。ここにメスを入れて批判したのが安川寿之輔です。安川はどのようにして「丸山眞男=福沢諭吉の世界」を解体しようとするのでしょうか。  
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