2020年09月04日 1639号

【NHKスペシャル 忘れられた戦後補償/市民への補償を阻む受忍論/コロナ禍に通じる責任逃れ】

 8月15日放送のNHKスペシャル『忘れられた戦後補償』が大きな反響を呼んでいる。国家総動員体制で遂行された日本の戦争。しかし、政府は民間被害者への国家補償を拒み続けている。国の責任を否定し、一般市民を切り捨てる――その姿勢は現在のコロナ禍につながっている。

60兆円対0円

 大阪府堺市在住の安野(あんの)輝子さん(81)。1945年7月、当時6歳の安野さんは米軍の爆撃により左足の膝から下を失う重傷を負った。心と体に深い傷を負った安野さん。「楽しいと思ったことは一回もないわ。楽しいって、どんなんが楽しいか、わからへん」

 安野さんのような民間の戦争被害者は国に補償を求めてきたが、その訴えは退けられてきた。「戦争被害は国民がひとしく耐え忍ぶもの」という受忍論によって。ところが、元軍人・軍属やその遺族には恩給などの補償が行われている。現在までの支給額は総額60兆円。まったく「ひとしく」ないのである。

 欧米諸国では戦争被害の補償において軍人と一般市民を同様に扱っている。英国やフランス、日本と同じ敗戦国のドイツやイタリアでもそうだ。ドイツの歴史学者は言う。「個人の被害に国が向き合うことは民主主義の基礎をなすものです。国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償をすることは、国家と市民の約束です」

 この至極当然の考え方が、日本では実行されていない。戦後、厚生省(現厚生労働省)の官僚には陸海軍の士官クラスが横滑りし、軍の階級別に支給額をランク付けした恩給制度を再び作り上げた(朝鮮や台湾出身の将兵は除外された)。

 社会も民間被害者の補償要求に冷淡だった。「国の責任にしてカネをせびろうとする乞食根性」(被害者に届いた手紙)といった罵声を浴びせる者さえいた。

 戦争責任を棚上げしたまま、経済成長最優先路線を突き進んできた戦後日本。国策がもたらした被害であっても国は責任をとらない。苦しんでいる者を見捨てる。そうしたこの国の姿を戦後「未」補償問題は浮かび上がらせている。

経済成長を優先

 番組は大きな反響を呼び、たくさんの感想が寄せられた。特に、現在の新型コロナウイルス問題と結びつけたものが多い。「政府はどうやったら補償できるかを検討するよりも、いかにすれば補償しなくて済むかという逃げの視点だったんだな。コロナの休業補償に消極的なのと同じか」等々。

 戦後補償問題をめぐる論考を書き続けてきた者としては、「民間人にも補償が行われていると思っていた」といった感想の多さに考え込まされた。この問題の基本が世間一般には伝わっていない。そこで番組を補完する意味で、事実を掘り下げてみたい。

 番組は膨大な資料と関係者の証言によって、「国家に補償責任なし」の法解釈が作り出された過程を検証している。老境に入った当時の高級官僚が「気の毒だけれども、自力で頑張ってくださいと言うしかなかった」と語る場面が印象的だが、これでも彼らは言葉を選んでいる。当時の記録をひもとくと、戦争被害者を見下す暴言が飛び交っていたことがわかる。

 政府の「戦後処理問題懇談会」の場で、メンバーの吉國一郎(元内閣法制局長官。後にプロ野球コミッショナー)は次のように発言している。「あんまり問題を広く取り上げると、寝た子を起こすような結果になる恐れがある」「やはり、リーズナブルな範囲で切らなきゃならない」

 番組でも取り上げられた河野一之(元大蔵事務次官)の弁はこうだ。「(補償をする場合)若い人が税金の負担でやるわけですね。そういう人の負担において、この年寄りの不公平感を是正してやるということは、国民感情の上で成り立たないんじゃないか」

 「原爆被害者対策基本問題懇談会」でも委員の暴言が相次いだ。「被爆者は37万人もおられ、ぴんぴんして何でもない人も多いんでしょう」「(被爆地域拡大の要求について)何か一種のたかりの構造の具体的なあらわれのような感じがいたしまして」

 つい先日(8/12)、「黒い雨」を国の援護対象地域外で浴びた原告全員を被爆者と認めた広島地裁判決を不服として、国は控訴した。国の責任を認めず、救済措置を値切り倒す姿勢はいささかも変わっていない。

根底に靖国思想

 番組への感想の中に「靖国の精神だなって感じた」というものがあった。靖国神社が合祀の対象しているのは戦没した日本の軍人・軍属らだけで、民間の戦没者は除外している。この姿勢と重なるというのだ。問題の本質を突く鋭い指摘といえよう。

 番組では、日本遺族会の事務局長を長く務めた板垣正(元参議院議員。父はA級戦犯として処刑された陸軍大将の板垣征四郎)が残した文章が紹介されている。いわく「国家存立の基礎は国のため死も辞さぬ精神である。犠牲的精神、献身的精神を支えたい」

 日本政府が旧軍人・軍属や遺族を「特別扱い」してきた理由がよくわかる。恩給や各種援護制度は、国家として謝罪の意を示すものではない。軍国主義思想の延命が目的なのである。

 大阪空襲訴訟の原告側弁護団を務めた大前治弁護士は「民間補償の財源はある」と指摘する。軍人恩給の受給者は減り続けており、支給額は毎年約600億円ずつ減少している。それを回せば十分可能だと。

 しかし日本政府は動こうとしない。国の権力行使によって生じた個人の損害に賠償責任を負うこと自体が嫌なのだ。安倍晋三首相が典型だが、彼らの中では大日本帝国憲法の「国家無答責の法理」が今なお生きているのである。  (M)



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