2020年09月18日 1641号

【非国民がやってきた!(338)私の中の植民地主義(4)】

 「帝国臣民」の道徳を説き続けた差別主義者の福沢諭吉を、戦後民主主義の理論的支柱に据えるという丸山眞男のトリックを暴いて批判したのは、教育思想史研究者の安川寿之輔(名古屋大学名誉教授、不戦兵士・市民の会副代表理事)でした。

 福沢のもっとも有名なフレーズを見てみましょう。福沢のベストセラー『学問のすすめ』の一節です。

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。

 福沢の主著において、万人平等の思想が説かれていた。これこそ戦後民主主義の基軸に据えるべきである。日本国憲法の民主主義や法の下の平等は、明治の福沢によってすでに明確に語られていた――というのが、「福沢=民主主義論者」のレトリックです。

 丸山は1947年の論文「福沢諭吉の哲学」において次のように述べました。

 「『天は人の上に……』の句が『学問のすすめ』全体の精神の圧縮的表現である」、「殆ど福沢イズムの合言葉となっている」。

 さらに丸山は1949年の論文「近代日本思想史における国家理性の問題」において次のように述べました。

 「『天は人の上に人を造らず』云々という冒頭の周知の言葉は実にこの著全体を貫く根本主題の提示であるが、……福沢の自然法思想はここに至って全面的な展開を遂げた。」

 丸山は、ここに明治啓蒙主義の輝ける民主主義、合理主義、平等主義を発見します。それゆえ1872(明治5)年に初編が出版され、数年がかりで続々と続編が飛ぶように売れた『学問のすすめ』全体が民主主義、合理主義、平等主義であったとされます。さらに福沢の思想全体が近代民主主義を体現するものとされます。

 戦後民主主義の最大の思想家であった丸山の託宣により、明治の福沢が戦後民主主義の思想的範例に位置づけられます。

 ところが、ここには小さいながら無視しえない詐術がありました。『学問のすすめ』冒頭を見れば、そこには次のように書いてあるからです。

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり。」

 末尾に3文字「云へり」がついています。丸山はこの3文字を故意に削除したのです。安川はこう論じます。

 「福沢は、『学問のすすめ』冒頭の有名な句を、断定文よりは明らかにインパクトの弱くなる『……と云へり。』という『伝聞態』で結ぶことによって、この句が(『アメリカ独立宣言』に借りた)自分の言葉でないことを断るとともに、自分はこの万人の自由と平等を主張した天賦人権論に同意・同調していないという重要な二重の意味を厳密に表明していた。」

 第1に、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」はアメリカ独立宣言をはじめとする西欧近代民主主義の主張でした。福沢自身の考えではありません。

 第2に、福沢自身は、「天は人の上に……」とは異なる思想の持ち主でした。むしろ「天は人の上に……」に批判的な検討を加えていたのです。

 にもかかわらず、丸山は最後の3文字を隠すことによって、「天は人の上に……」こそが「『学問のすすめ』全体の精神の圧縮的表現」であり、「福沢イズムの合言葉」であると偽造したのです。戦後日本の最高の知識人であった丸山の託宣が、そのまま事実と誤解され、今日に至るまで「天は人の上に……」が福沢の思想であるというトンデモ理解が通用してきました。

 <参考文献>

安川寿之輔『日本人はなぜ「お上」に弱いのか』(高文研、2019年)
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