2020年09月25日 1642号

【未来への責任(306) 安倍政治総括し転換へ】

 安倍政権がようやく終わった。歴代最長任期の政権となったが、「レガシーに乏しい」と各メディアはいう。安倍晋三首相が「悲願」とした改憲は進まず、外交でも「北方領土」問題、拉致問題は未解決のまま残った。「国難」「戦争」にたとえた新型コロナ感染症対策では迷走、失策を続けた。その果ての辞任であった。持病悪化を理由とするが、安倍政治が完全に行き詰まったが故(ゆえ)の退陣であったことは明白だ。

 それ故、内政、外交ともに安倍政治の総括と修正・転換が問われている。

 安倍政権は「官邸主導」であったと言われる。朝日新聞(9/13付)の記事「官僚が見た安倍政権」がその一端を報じている。例えば外交―「外務省の職員は、対外発信をテーマに開かれた会議で幹部が『歴史戦』という言葉を使って『慰安婦像』の建立をいかに阻むかと話すのを聞いた。『歴史戦』に疑問を持つ人もいる。でも表向き異論を唱えられる空気ではない」。

 「歴史戦」という言葉は、日韓関係で懸案の「慰安婦」、「徴用工」問題等を扱う際に産経新聞等が使いだした言葉。「嫌韓」キャンペーンのための造語だ。それをそのまま使うような官邸幹部が主導して「慰安婦」、「徴用工」問題が解決するはずがない。

 菅義偉(よしひで)新総理は官房長官当時、産経新聞のインタビューで「日韓請求権協定が日韓関係の基本だ。そこはきちんとこだわっていく」。他方で、「外交は継続が大事だ」とも述べている。

 確かに、日韓は日韓基本条約・請求権協定等で国交を正常化。1965年時点では、日本は植民地支配責任を認めず植民地賠償は拒否した。駐韓大使・外務事務次官を歴任した須之部量三氏は「一連の戦後処理を考えると、日本の経済力が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を“値切る”ことに重点がかかっている。今となってみると、条約的、法的には確かに済んだけれども、何か釈然としない。不満が残ってしまう。そのへんが、今後とも日本の品格あるいは“国徳”とでもいうべきものが、望まれながら出てこない」と述懐した(『外交フォーラム』92年2月号)。

 そして、95年に村山談話が出され、98年には「日韓パートナーシップ宣言」が交わされた。この中で、日本は過去の朝鮮植民地支配が「多大の損害と苦痛」を与えたことを認め、反省と謝罪を表明した。菅が「外交は継続が大事だ」というのであれば、請求権協定に固執するのではなく、この変化・積み重ねを見なければならない。そこに解決の鍵はある。

(強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク 矢野秀喜)

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