2020年10月09日 1644号

【シネマ観客席/オフィシャル・シークレット 監督 ギャビン・フッド 米英合作 2019年 112分/はりぼて 監督 五百旗頭幸男 砂沢智史 2020年 100分/形だけの民主主義を脱するには】

 久しぶりの映画評。今回は『オフィシャル・シークレット』と『はりぼて』の2本を紹介する。前者はイラク戦争に関連した実録ドラマであり、後者は日本の地方議会の不正を暴くドキュメンタリー作品だ。何の関連があるのかと思われるかもしれないが、「民主主義の形骸化」という観点から論じてみたい。

イラク戦争を止めろ

 2003年初頭。米ブッシュ政権はイラクへの武力攻撃を正当化する国連決議を得ようと躍起になっていた。そこで、鍵を握る国の動向を探るために通信傍受を計画。英国の諜報機関GCHQ(政府通信本部)にも協力を求めてきた。

 GCHQで働くキャサリン・ガンはこの裏工作を看過できず、国家機密扱いの情報を新聞社にリークした。しかし戦争を止めることはできなかった。キャサリンは公務秘密法違反の罪で逮捕され、起訴される…。

 本作品は実話にもとづいている。その後の展開はネタバレ回避のために書かないが、興味ある人は調べてほしい。意外な結末にきっと驚かれるだろう。

 映画で印象的なのは、何と言っても、政府の脅しや迫害に屈しないキャサリンの姿である。戦争が始まれば多くの人命が奪われる。このことを彼女は座視できなかった。だから職務規律ではなく、良心に従って行動した。キャサリンは言う。「私は国民に仕えているのだ。政府じゃない」

 リークに応えた新聞記者たちの行動も見事だった。丹念な裏取り取材によって自国政府の不正行為を突き止める。そして、「我が社は戦争支持だ」「政府ににらまれ情報をもらえなくなったら困る」という上司を説き伏せ、渾身のスクープ記事を放つ。

 記者の情報源である政府関係者が「政権に媚びるな。メディアはちゃんと仕事をしろ」とはっぱをかける場面がある。“政府は情報を隠し国民をだまそうとする。それを許さないのが報道の仕事。怠れば民主主義は正常に機能しなくなる”と言いたいのだろう。

日本の縮図を活写

 こういう映画を観た後では気が重いが、日本の話をしたい。キャサリンと同じことを言っていた国家公務員が日本にもいた。森友学園事件で公文書改ざんを強要されたことを苦に自ら命を絶った赤木俊夫さんだ。生前の赤木さんは「私の雇い主は国民。国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っている」と、話していたという。

 そんな赤木さんを死に追い込んだ政治家たちは何の責任もとっていない。安倍晋三前首相しかり、現在の菅義偉(すがよしひで)首相しかりである。世間の関心も明らかに低下した。事件の真相がまだ明らかになっていないにもかかわらず、「いつまでやっているんだ」的な空気が濃くなっている。

 感覚がマヒし、民主主義がないがしろにされている状況があたり前になっているのだろう。映画『はりぼて』は、そうした日本の縮図を活写したドキュメンタリーである。

 2016年8月、自民党王国と言われる富山市に激震が走った。市議会のドンと言われた自民党議員が、政務活動費の不正取得が発覚したことにより、辞職に追い込まれたのだ。これを機に、市議たちの不正が相次いで表面化し、8か月の間に14人が辞職した。

 不正を暴いたのは、富山県のローカル局チューリップテレビの調査報道だった。情報公開制度を利用して入手した資料を調べ上げ、矛盾点を見つける。聞き込み調査で証拠を固め、議員本人を直撃。その一部始終を撮影し、放映した。

 子どもだまし以下の言い訳を並べる議員たち。すっとぼけたり、時には記者を脅してみたり。でも目は泳いでいる…。映像の力をいかんなく発揮したテレビ報道の手本といえる。これを小さなテレビ局の若手記者たちが成し遂げたのだ。

 映画がここで終われば、誰もが「日本のジャーナリズムは捨てたもんじゃない」と拍手しただろう。しかし、記者として不正追及の先頭に立った2人の監督はそうしなかった。

 市議の大量辞職にともなう補欠選挙の投票率は26・9%。この数字が示すように有権者の反応は鈍かった。議員のひどい実態にあきれ返り、政治そのものを忌避した人が多かったのだろうが、投票率の低下は利権がらみの岩盤支持層を持つ自民党の思う壺。まさに国政の縮図である。

 かくして議員たちは、不正が発覚しても辞めずに居座るようになった。とりあえず謝罪して時が過ぎるのを待てばよい。やがてメディアは関心を示さなくなり、世間もすっかり忘れてしまう―というわけだ。

鍵を握るのは市民

 そして現在。不正追及取材の中心メンバーは報道の現場を離れた。ニュース番組のキャスターも務めた五百旗頭(いおきべ)幸男記者は苦悩の末に局を辞め、別のテレビ局に移籍した。「今の会社が向かっている方向は、報道が目指す方向とは、皮肉にも4年前を境に逆になっている。報道機関としてまともな方向に戻ってもらいたい」という言葉を仲間たちに残して。

 監督として映画をまとめる際の思いを彼は次のように語っている。「4年前は、『はりぼて』というタイトルは議会や当局に向けられたものだった。でも、4年経った今、この状態を招いたのは、僕らメディアや市民にも責任があるのではないかと思ったんです」

 はりぼて化しているのは権力サイドだけではない。メディアや市民の側にも馴れ合いや忖度(そんたく)、事大主義がはびこり、民主主義が形骸化しているという自戒である。この指摘を重く受け止めたいと思う。

 「無関心であることが腐敗を招く」と五百旗頭監督。「コロナ禍での政権の迷走ぶりによって、ようやく市民が気づき始めた」とも語る。『オフィシャル・シークレット』でキャサリンや記者たちが信念を貫けたのも、イラク反戦運動の大きな広がりがあればこそだ。はりぼて政治を克服する鍵は、この日本でも市民が握っているのである。(O)



MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS