2020年10月23日 1646号

【日本学術会議への人事介入/正当化を図る菅政権の卑劣/「学問の自由」侵害は戦争への道】

 日本学術会議が推薦した新会員候補者6人の任命を拒否した菅義偉(すがよしひで)首相。菅首相本人は「学問の自由とは全く関係ない」と強弁し、政権擁護を買って出た御用コメンテーターたちは論点のすり替えに必死である。中にはデマを流す悪質な事例も。まさに、言論弾圧政権の正体見たりだ。

戦争の反省を踏まえ

 日本国憲法は第23条で学問の自由を保障している。実は、憲法にそうした明文規定がある国は多くない。思想・良心の自由(第19条)や表現の自由(第21条)とは別の条項を設け、学問の自由を保障したのはどうしてなのか。

 それには歴史的な事情がある。戦前の日本では、戦時体制の構築にともなう思想弾圧の一環として、天皇神格化の妨げになるとみなされた学説が徹底的に攻撃された。たとえば、柳条湖事件(満州事変)の2年後に起きた滝川事件である。

 1933年4月、京都帝国大学の滝川幸辰(ゆきとき)教授の自由主義的な刑法学説が公序良俗に反するとして、内務省はその著書を発禁処分とした。続いて文部省が大学側に滝川教授の辞職を要求した。全学的な抗議活動が起きたが、結局、滝川教授ら多くの教員が大学を追われることになった。

 1935年には天皇機関説事件が起きた。憲法学者の美濃部達吉(みのべたつきち)が唱えるこの学説に対し、右翼政治家や在郷軍人が排撃運動をくり広げたのだ。貴族院議員だった美濃部は議員辞職を余儀なくされ、憲法に関する著作も一掃された。

 歴史学の分野でも、津田左右吉(そうきち)の実証的な日本史研究が排除の対象となった。天皇は神の子孫という神話にもとづく「皇国史観」の土台部分に疑問を差しはさむ学説だったからだ。

 こうして、政府や軍部の意に沿わない言説が抹殺されていった。日本は非科学的な精神主義一色に染まり、無謀な戦争に突き進んでいった。その過ちをくり返さないために、日本国憲法は学問の自由を特に重視しているのである。

「税金泥棒」よばわり

 だが、菅首相は今回の任命拒否について「学問の自由とは全く関係ない」と言い放った。例によって説明抜きの「菅話法」だが、「会員になれなくても研究は自由にできる。学問の自由の侵害にはあたらない」と言いたいのだろう。

 憲法を軽んじる幼稚な解釈というほかない。憲法23条は、個人が国家から介入を受けずに学問ができることだけを保障しているのではない。大学など公的な学術機関が介入を受けないことまで保障しているというのが通説なのだ。

 日本学術会議法が会員の人事の独立性・自律性をうたっているのは、「科学者集団の自律性が保障されてはじめて、同会議の目的である、わが国の『科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる』ことが可能となる」(10/6付「立憲デモクラシーの会」声明文)からである。

 政府も法律論争では分が悪いことはわかっている。そこで論点をすり替え、学術会議の印象をおとしめる作戦に出てきた。「役立たずの組織なのに予算は年10億円。税金の無駄遣いは見直すべき」というやつだ。

 この論法は菅首相本人が公言しているほか、田崎史郎(政治ジャーナリスト)や橋下徹(元大阪市長)といった面々がテレビやネットで吹聴している。連中の論理だと、法律を平然と無視することが「前例踏襲の打破」になるらしい。

 とくにひどいのが、平井文夫・フジテレビ上席解説委員の発言だ。いわく「だってこの人たち6年ここで働いたら、そのあと学士院というところに行って、年間250万円年金がもらえるんですよ。死ぬまで。みなさんの税金から。そういうルールになっているんです」(10/5放送『バイキングMORE』)。

 事実無根だ。日本学術会議と日本学士院は目的も機能もまったく違う別組織である。学術会議OBがそのまま学士院の会員となり、終身年金を受給できるなんて「ルール」などない(翌日の放送で訂正があったが、平井のデマはすでにツイッターで広がっていた)。

 大体、中曽根康弘元首相の葬儀への国費支出(約9600万円)やアベノマスク事業(約260億円)は全力で擁護する菅応援団が、学術会議を「税金泥棒」よばわりするなんて支離滅裂の極みだ。嘘でも百回言えば印象操作になると開き直っているのだろう。

支配統制の意図

 平井は「2017年に日本学術会議が軍事研究の禁止という、とんでもない提言を出したんですよ。それで(政府の)堪忍袋の緒が切れて」とも語っている。これは政府の本音でもある。「軍事研究の邪魔をする反日活動家は排除して当然」と言いたいのだ。

 しかし、日本学術会議の原点は「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない」という1950年の声明にあり、その継承を打ち出すのは当たり前の話である。むしろ、防衛省が立ち上げた軍事研究への資金提供制度について、「再び学術と軍事が接近しつつある」と警鐘を鳴らすのが遅かったぐらいだ。

 関係者の証言によると、首相官邸が学術会議の人事に横やりを入れ始めたのは、2014年の秋からだったという。安倍政権が特定秘密保護法の制定を強行したのが2013年12月。集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行ったのが翌年7月。いずれも学術界から「憲法違反の暴挙だ」といった批判が相次いだ。

 安倍政権が原理原則を貫く学者を疎ましく思い、支配統制に乗り出したことは明らかだ。まさに戦争国家づくりの一環としての言論弾圧だが、それを菅政権はより強力に進めようとしているのである。  (M)



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