2020年10月30日 1647号

【非国民がやってきた!(341)私の中の植民地主義(7)】

 朝鮮に対するヘイト・スピーチをまき散らした帝国主義者の福沢諭吉を民主主義者に仕立てた丸山眞男の「福沢=丸山神話」を徹底批判した安川寿之輔は、日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題をはじめとする、日本の戦争責任・植民地支配責任にメスを入れます。

 第2次大戦末期の空襲被害を踏まえた「二度と戦争をしない」という平和の誓いは、侵略戦争を反省することも、朝鮮植民地支配を反省することもありませんでした。

 戦後50周年の機会に、そのチャンスが訪れたにもかかわらず、結局、日本社会は植民地主義の克服を果たすことができませんでした。

 その謎は、例えば「福沢=丸山神話」にあり、植民地支配に言及しなかった日本国憲法にあり、日本国憲法を「被害者の平和主義」に押し込んでしまった憲法解釈にあります。安川は、憲法前文と9条の平和主義を十分に活かすことができなかった戦後民主主義の限界を見据えて、「未来責任」を語ります。

 「戦争責任のポイントは、侵略戦争と植民地支配への誠実な謝罪と反省にたって、日本の社会が二度とふたたび戦争や植民地支配への道を歩むことを許さないという未来責任にこそある。」

 そのためには侵略戦争と植民地支配の歴史を総括し、その原因を除去しなくてはなりません。ドイツのヒトラーはベルリン戦のさなかに自殺しました。イタリア国民はムッソリーニ首相を処刑し、国民投票によって君主制を廃止しました。

 「20世紀の世界史において、君主のもとで戦争を始めて敗れた国では、日本以外すべて君主制は廃止になっており、私たちは天皇裕仁の戦争責任免責が世界史的に唯一の異例の出来事である事実を、恥じる思いで認識する必要がある。」

 安川は、侵略戦争と植民地支配の開始と維持の責任を、天皇制と、これを支えたマスコミ、学校教育、司法、警察、宗教関係者に見出し、その責任が問われなかった痛恨の歴史を改めて問います。

 未来責任を果たすためのチャンスは何度もありました。安川は5つの「衝撃波」として把握します。

 第1の衝撃波は、1990年代初頭の日本軍性奴隷制問題の浮上でした。

 第2の衝撃波は、2000年の「女性国際戦犯法廷」における昭和天皇裕仁の有罪認定でした。

 第3の衝撃波は、2011年8月30日の韓国憲法裁判所決定でした。「慰安婦」問題解決のために日韓請求権協定3条に従って外交交渉すべきだという結論です。

 第4の衝撃波は、2015年の誤った日韓「合意」です。

 第5の衝撃波は、文在寅大統領の誕生であり、「光復節」や「3・1独立運動記念式典」における大統領演説です。

<参考文献>
 安川寿之輔『混迷する日韓関係打開の道』(ほっとブックス新栄、2020年)
MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS