2020年11月13日 1649号

【非国民がやってきた!(342)私の中の植民地主義(8)】

 安川寿之輔が、丸山眞男の「福沢=丸山神話」批判を通じて明るみに出したのは、植民地主義が日本文化や歴史意識にしっかりと根差しており、いまや「古層」と化しつつあることです。

 丸山は、日本思想の基底には執拗に繰り返される一つの音型があり、その音型は外来思想が日本に入ってくると、外来思想と混じりあい日本的なものに変容させる働きをするとしました。「古層」、「原型」、「執拗低音」という表現で日本思想の解明を図りました。

 丸山の思想には、植民地の忘却と、忘却を通じていまなお厳然と存在する人種主義、排外主義、民族差別が「古層」として抜き難く嵌め込まれていないでしょうか。丸山個人の限界が問題なのではありません。丸山に代表される戦後思想そのものに植民地主義がしっかりと根付いていないでしょうか。

 第2次大戦終結によって日本は主要な植民地を喪失しましたが、同時に日本は植民地を忘却しました。植民地主義を反省する努力はなされませんでした。一度も清算されたことがないのです。これが、私の中に植民地主義が生き生きと根付いている一つの根拠です。

 日本特有の現象ではありません。日本とは異なって植民地喪失の激しい痛みを経験し、植民地主義を克服する努力をするチャンスを手にできたはずの西欧諸国においても、植民地主義が克服されたとは言い難いのです。植民地主義は西欧においても日々再生産されています。

 アメリカ独立やインド独立という近現代史最大の「事件」を経験したイギリスは植民地主義を克服できていません。いまだにスコットランドや北アイルランド問題に脅えています。自分が作り出した植民地の影に戦慄する悲喜劇です。

 アルジェリア独立やヴェトナム独立という激しい痛みを経験したフランスも植民地主義の克服など考えられません。イスラムに対する幼稚な侮蔑を繰り返して、自ら招き寄せたテロ事件に首根っこを抑えられています。

 西欧近代に屹立した帝国主義時代に植民地主義と人種民族主義が繁茂したことは言うまでもありませんが、帝国主義が植民地主義の母胎と言えるでしょうか。9.11以後の歴史的現在を解読する鵜飼哲(一橋大学名誉教授)はこの問いにノーと答えます。

 「いまや近代的政治概念の総体が『テロリズム』という言葉とともに問題化されるべきであるならば、近代啓蒙主義の諸概念を含めた西洋政治思想の総体が、その起源から2500年ののちに『テロリズム』という言葉を生み出したというまさにそのことによって問題化されるべきでしょうし、私たちの批判の作業は、啓蒙主義の前提そのものまでも、問題化しなくてはならないことになるでしょう。」

 「テロリズム」言説批判は「近代的政治概念の総体」、「近代啓蒙主義の諸概念を含めた西洋政治思想の総体」を必然的に問い直す、と鵜飼は言うのです。

 西欧的近代に学び、自らを成型した日本近代において啓蒙のプロジェクトはまさに「執拗低音」と化しているのではないでしょうか。これが、私の中に植民地主義が生き生きと根付いているもう一つの根拠なのです。

 それゆえ問いは二段構えとなり、私たちは、自らの尾を飲み込もうとする蛇のごとき、啓蒙のウロボロスを実演することになるのです。

<参考文献>
鵜飼哲『テロルはどこから到来したか――その政治的主体と思想』(インパクト出版会、2020年)
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