2020年12月04日 1652号

【新・哲学世間話 「軍事研究する自由」の侵害? 田端信広】

 先日、新聞で次のような記事を目にした。ある学生がゼミ討論で、「任命拒否問題」を批判するのは逆に「軍事研究をする自由への侵害になるのではないか」と述べた、というのである。そのときは、幼稚な学生が「形式論理」を振り回しているだけだと思っていたが、どうもそれだけでは片付けられないようだ。「日本学術会議」が「軍事目的の研究」の禁止を組織的に決定したことこそ「学問の自由」を侵害しているのだとする、でたらめな理屈が、最近いろんなメディアで振りまかれているからである。

 そのような理屈がまかり通るのは、「自由」の概念がまともに理解されていないからである。先の学生は、「自由」が一切の制約を受けない、フリーであること、よって「なんでもあり」のことだと思っている。

 「学問の自由」(研究の自由、教授の自由、成果公表の自由)は、人間の他の「自由」と同様に、普遍的真理と価値、全人類的利益を守るために、これを抑圧する権力との闘いの歴史のなかで確立されてきた事実を度外視しては語れない。

 地動説を唱えたガリレオが、カトリック教会から「異端」とみなされて断罪されたことは有名である。18世紀の大哲学者、カントですら、宗教的書物の出版に際しては、教会権力からの弾圧を極力恐れねばならなかったのある。

 科学的真理を弾圧する主たる勢力が宗教権力から世俗の政治権力に移っても、事の本質は変わっていない。かつての宗教権力と同じように、近代の政治権力も自分たちの特殊な利益に反する理論や学説を弾圧してきた。戦前の日本で起こった「滝川事件」や「天皇機関説」への弾圧は、すでに本紙でも言及されているとおりである。さらに現代では、政治権力は科学や学問に介入し、それを自分たちの都合の良い方向に誘導し、変えようとしている。

 「学術会議」が1950年と63年に続き2017年に3度目の「軍事研究」への協力反対「声明」を出したのは、前年に新設された防衛装備庁が研究費を餌に全国の大学や研究機関に軍事研究への協力・応募を呼びかけたからである。大学はこの圧力への態度決定を迫られ、揺れた。反対「声明」はこの誘導、介入に抗して出されたのである。

 この経緯を踏まえれば、「なんでもあり」の「軍事研究をする自由」など存在しないのは明らかである。

(筆者は元大学教員)
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