2020年12月11日 1653号

【非国民がやってきた!(344)私の中の植民地主義(10)】

 現代世界のテロを歴史的に考察する鵜飼哲は、アメリカの9.11に匹敵するフランスの1.7にこだわります。2015年1月7日――この日は「シャルリエブド襲撃事件」の名で歴史年表に記録されています。

 「テロリスト」集団が風刺週刊誌編集部を襲撃し、多数の被害者を出したこの事件は、「私はシャルリ」のスローガンと、表現の自由を守るフランス行進の映像とともに記憶されています。パリでは「ラ・マルセイエーズ」の合唱が響き渡り、日本でも「表現の自由を守れ」の合唱が続きました。

 鵜飼は、襲撃事件については「このタイプの政治的暴力の背後にあるのは、イスラームの原点に復帰すると称して、シャリーアの字義通りの適用を強要する反動的な思想である」と厳しく批判しますが、鵜飼の視線はもっと遠く、もっと深く、歴史の深層を穿つために投げかけられます。

 フランスは現在もなお植民地主義国家ではないのか。その歴史を誰が忘れようとしてきたのか。反人種差別運動が闘われているが、現行の共和国を前提とする限り、そこには見えない歪みが生じているのではないのか。ヴェール着用禁止法に左派勢力の大半が賛同したのはなぜか。マリ共和国のセルヴァル内戦に介入したフランスは現に戦争中の国ではないのか――こうした一連の問いが鵜飼の分析を領導します。

 イスラエルがガザ空爆の挙に出てパレスチナ人が殺されている時に、フランスでパレスチナ連帯デモが禁止・制限されるのはなぜか。イスラエルの「自衛権」を根拠に、ガザ空爆を支持したのはフランス政府でした。フランスの中東への関与は1世紀を超える歴史を持ちます。サイクス=ピコ協定とは英仏ロの秘密協定でした。

 「イギリスがメソポタミア(イラク)でシーア派の叛乱に直面していた頃、フランスはシリアとレバノンで、同じように現地住民の抵抗を圧殺するためにあらゆる手段を用いていた。叛乱指導者の死刑は公開で執行され、遺体は長く処刑台に吊るされた(同時期に日本は、朝鮮半島で、中国大陸で、日々筆舌に尽くし難い暴力を行使していた)。」

 そうです。フランスだけのことではありません。

 「このような認識、批判は、現代フランスの特殊事情を超えて、現在の世界で広範に見られる構造を照射するものではないだろうか。植民地支配に起源をもつ政治=社会状況において、容認し難い暴力的事態や抑圧的行為が発生すると、そのことを口実に、歴史的被抑圧者の側が『身の潔白』の証明を迫られ、分断を強いられることになるという構造である。同様の構造が日本でも、とりわけ朝鮮学校の民族教育権をめぐって、この間鮮明に浮かび上がってきたことについては、あらためて強調するまでもないだろう。」

 西欧近代、啓蒙主義、自由主義という美名で華やかに装飾された植民地主義が世界を蝕み、人民の自由と連帯を簒奪し、私たち自身の良識を麻痺させていないでしょうか。大航海と産業資本主義に始まる<文明>という名の<野蛮>が躍動していることに私たちはなぜ気づこうとしないのでしょうか。
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