2020年12月25日 1655号

【非国民がやってきた!(345)私の中の植民地主義(11)】

 テロルの歴史的起源と思想的系譜をたどり直した鵜飼哲は「日本型祝賀資本主義批判」に乗り出します。

 1964年の東京オリンピックを眼前にした詩人・評論家・サークル活動家の谷川雁は「ますます露骨に純化されていく国家の論理」と「単一の世界権力にまで成育」しかねない五輪という疑似平和を見つめながら「逆流してくる未来の残酷さ」と書きつけました。

 福島原発事故が起きた地で2020年に予定された東京オリンピックに抗して、鵜飼は「半世紀ののち、私たちはこの『未来の残酷さ』のただなかにいる。国民国家主義とグローバル資本主義を媒介するものが、ひとつは『核の国際管理』であることも知っている」と批判の基軸を定礎します。

 資本の運動法則が国境を越え、海を越え、遥か宇宙空間にまで押し寄せている現在、それにもかかわらずナショナリズムとレイシズムが国境の中に反転し、逆流し、自由や人権を溺死させているのはなぜか。その謎を鵜飼は一つひとつ解き明かしていきます。

 3.11の東日本大震災と福島原発事故を論じる際、鵜飼は誰も辿ったことのない見えない隘路を束ね併せ、縒り直し、虹の回廊を架けてみせます。震災以後の重要な「政治的マニフェスト」として、フリーター全般労組の「誰も殺すな――グスコーブドリのいないイーハトーブはいらない」を引用し、宮沢賢治の童話にはらまれた供犠の思想と科学信仰に対する批判的意志を読み取った上で、さらにこのタイトルの二重否定を転倒して「グスコーブドリがいるイーハトーブ」への「希求」――「頭脳労働と肉体労働の矛盾を超えた存在としてのグスコーブドリが生きられる世界への希求」を抽出します。

 鵜飼は3.11と、これと同時期に生じていたアラブ世界の革命――チュニジア・エジプトの革命的民衆運動の間にも鮮やかな補助線を引きます。中東戦争、アラブ諸国の石油戦略、エネルギー問題、原発推進政策はひとつながりの問題群だからです。「欧米諸国における1970年代以降の原発政策の推進は、アラブ世界に対して西洋世界が全体として、19世紀以来植民地主義的態度を取り続けてきたことと不可分です」。それゆえアラブの春と3.11は「実は歴史的に太い糸で繋がっているのです」。

 原発問題はエネルギー問題にとどまりません。核エネルギーは原子炉内での融合反応にとどまらず、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下によって世界に衝撃を与えたのです。<フクシマ>以後に<ヒロシマ>を再発見しなければならない必然を説く鵜飼は「日本の歴史的状況から、世界を核化させる論理の総体に反対する新しい世界市民的空間の発明」へと戦線を張りだします。

<参考文献>
鵜飼哲『まつろわぬ者たちの祭り――日本型祝賀資本主義批判』(インパクト出版会、2020年)
MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS