2021年01月29日 1659号

【非国民がやってきた!(347)私の中の植民地主義(13)】

 資本主義、帝国主義、植民地主義、優生主義、人種主義、絶対主義をはじめとする権力の絢爛豪華なショーウインドウとしてのオリンピックを批判する鵜飼哲は、もう一つの権力機構としての天皇制の秘蹟を解体します。国家のイデオロギー装置としての天皇制の主たる三つの機能を剔抉します。

 第1に「思考停止装置」です。天皇タブーが社会を覆いつくし、この国の言説空間が逼塞し、解放の手がかりが見出しにくくなっています。

 第2に「排外装置」です。天皇を自分たちの象徴に戴く「日本国民」の排外主義と差別が激甚であるにもかかわらず、当の日本国民はそのことをまったく自覚していません。それほど強く呪縛されているのです。

 第3に「忘却装置」です。侵略戦争も植民地支配も忘却し、美しい物語が語られます。東日本大震災やフクシマ原発事故の悲劇も速やかに風化します。自然に風化するというよりも、祈る天皇、慰問する天皇による慰撫によって風化が見事に加工されていきます。

 かくして鵜飼の「まつろわぬ者たち」がこの国の夕暮れの残光の中に立ち上がります。

 「私はこの間、憲法9条の問題で話をする機会をいただいた場合には、9条の<前>と<後>ということを強調しています。それは『国民』と『非国民』を分かつものは何かという問いに関わります。憲法9条の後は10条です。『日本国民たる要件は、法律でこれを定める』という一文からなる条文です。この憲法の不思議なところは、前文では『日本国民』は冒頭の一文の主語であり、『われら』という一人称複数形で受けられます。ところがこのわれらとは誰かということになると、10条で『法律でこれを定める』とされるんですね。しかし、実際には法律ですら定められなかった。」

 日本国籍保持者だった旧植民地出身者の日本国籍を剥奪したのは、法務府民事局長通達だったのです。日本国憲法施行の直前に昭和天皇最後の勅令で旧植民地出身者の国籍に伴う権利をすべて停止して、サンフランシスコ講和条約発効直前に最終的に国籍を剥奪しました。在日朝鮮人や在日中国人の起源がここにあります。

 ナチスドイツやソ連で行われたのと同じ大量の国籍剥奪が「民主主義」と「平和主義」の日本国憲法の下で民事局長通達によって強行されました。ナチス同様の全体主義国家と言うしかありません。「どうして、どこから、こんなことが起こりえたのか?」。

 鵜飼は「1条と10条の間にある隠れた対応関係からである」と言います。

 前文では日本国民は憲法制定権者であり、民主主義と平和主義の宣布者でした。1条では日本国民は「総意」で象徴天皇制を支える天皇主義者に変貌します。10条では国民は「法律でこれを定める」となり、民事局長通達で、つまり官僚の恣意的判断で決めたのです。国民がこれを受け入れました。ほとんどの憲法学者も疑問を抱かず、憲法コンメンタール(注釈書)がこのことに疑問を明示したのはなんと21世紀になってからです。

 思考を停止し、歴史を忘却し、排外主義者となり在日朝鮮人を差別しながら気づきもしない「国民」の創出です。
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