2021年02月05日 1660号

【菅首相の「言い間違い」考/コロナ対策「限定的」は本心/隠しきれない「命よりカネ」】

 通常国会が始まったばかりだというのに、政権末期の様相を呈している菅政権。菅義偉首相の素っ気ない答弁は相変わらずで、説得力はまるでない。近頃は「言い間違い」やかみ合わない答弁が目立ち、いよいよ支離滅裂になってきた。今回は、この「言い間違い」について考察したい。

重要場面で連発

 新型コロナウイルスの感染拡大を「一日も早く収束させる」。「私自身も闘いの最前線に立ち、難局を乗り越えていく」――1月18日の施政方針演説で菅首相はこう語った。

 「自助、共助、公助」というキャッチフレーズを封印し、肝いり政策の「GoTo」事業にも触れなかった。政権のコロナ対策に批判が集まる中、「国民の命と暮らしを守ることを第一」との姿勢を印象づけようとしたのである。

 しかし、その思惑は外れた。SNS上には「危機感や切迫感がみじんもない」「何も残らなかった」といった厳しい書き込みが相次いだ。御用ジャーナリストの代表格といえる田崎史郎にまで、「自分の言葉で伝え、国民とともに歩んでいくという姿勢がみられなかった」(1/19羽鳥慎一モーニングショー)と批判される始末であった。

 自民党幹部が「反転攻勢どころか、“自滅の刃”」と嘆いたように、最近の菅はポンコツぶりに拍車がかかっている。重要な場面での「言い間違い」が目立つのだ。たとえば、緊急事態宣言の対象地域を追加すると表明する際、「福岡」と言うべきところを「静岡」と言い、その場で訂正もしなかった。

 参院本会議での施政方針演説では、コロナ収束に向け「徹底的な対策を行っている」と言うべきところを、「限定的な対策」と間違えた。少子化対策に言及したくだりでは「出産」を「生産」と言った。

 1月15日付の読売新聞は「重要案件言い間違い頻発/お疲れ首相 不安の声」と報じた。コロナ対応で休みもなく公務をこなし、日課の会食も自粛。その疲れとストレスが単純ミスにつながっているのでは、と言うのである。

経済成長に固執

 菅が相当まいっているのは事実である。支持率の急落に動揺しないほうがおかしい。だが、心身の不調による集中力の欠如だけが言い間違いの原因ではない。中には「フロイト的失言」も含まれている。

 精神分析学の創始者であるジークムント・フロイトは、言い間違いのような錯誤行為は無意識の本音や願望のあらわれだと考えた。抑圧された思いや感情は本人が意図しない形で表出するというわけだ。

 この理論を適用すれば、施政方針演説でコロナ対策を「限定的」と口にした理由がよくわかる。感染症対策優先の強調は菅の本意ではなく、執着しているのはやはり「経済を回す」路線だということだ。

 実際、約44分間の演説のうち、コロナ対策に割いた時間はわずか7分半弱。演説の中心は「成長志向の政策」の羅列であった。いわゆるグリーン社会の実現にしても、「投資を促し、生産性を向上させ、力強い成長を生み出す」という観点からの主張である。

 グローバル資本主義が引き起こす自然破壊によって生態系のバランスが崩れ、未知の感染症リスクが高まっている。現在のコロナ禍もその一例だ。だから経済成長至上主義の転換が必要なのだが、そうした発想が菅にはみじんもない。

指摘をケチよばわり

 「フロイト的失言」といえば、「国民皆保険制度の見直しに言及か」と波紋を広げた発言(2面参照)もそうである。1月13日の記者会見でとびだしたもので、事前に通告されていない質問への回答だった(質問者はフリージャーナリストの神保哲生)。

 誰しもが一定レベルの医療を受けることができる国民皆保険制度は、コロナ禍でも「命を守る砦」の役割を果たしている。しかし、「自助」を基本とする菅はそう受けとらない。「悪平等な仕組みのせいで貧乏人が病院に殺到し、医療資源に食いつぶされる」とでも思っているのだろう。

 予定調和に与しない質問が菅をあわてさせ、新自由主義者の本性を引き出した瞬間だった。

   *  *  *

 「いちいちそんなケチつけるもんじゃない」。自民党の二階俊博幹事はNHKの番組(1/19クローズアップ現代+)に出演した際、「政府のコロナ対策は十分なのか」と問うた司会者にこう言い返した。

 人びとの思いを代弁した指摘をケチつけよばわりとは…。主観的には言いたいことを我慢している菅にかわり、後見人の二階がすごんでみせたということか。覚えておこう。これが「国民のために働く」と自称する連中の正体だ。 (M)

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