2021年02月19日 1662号

【MDS18の政策とは/第2回/平和と核軍縮(2)/戦争法を廃止し海外派兵を中止する/PKO利用し戦地派兵の地ならし】

 安倍前首相は「戦争ができる普通の国」をめざし、海外での武力行使を可能とする法整備を強行した。2016年3月に施行された自衛隊法改正など一連の戦争法制だ。集団的自衛権の行使を公言し、憲法の平和主義を無力化したのだった。

 並行して自衛隊は戦地派兵の実績を積み重ねていた。08年から続く東アフリカ・スーダン派兵もその一つだ。

 内戦状態にあったスーダンは05年に和平合意が成立。国連PKO(平和維持活動)が開始され、当時の民主党政権は08年、司令部要員を送った。11年に南スーダンが独立すると「国づくり支援」を目的とする新たなPKOに施設部隊を派遣。12年末、政権に返り咲いた安倍は増派した。13年になると南スーダンは大統領派対元副大統領派の内戦が勃発。一時停戦合意が成立するも反故(ほご)となる。

 PKOの条件が崩れたこの時点で自衛隊は撤収しなければならないはずだが、安倍は派兵を続けた。

 国連は、PKOの目的を「難民保護」に切り替え、16年には部隊の大幅増派を決定するとともに「必要に応じて断固たる行動をとる」と武力行使も辞さない姿勢を示した。政府軍、反政府軍、PKO部隊の三つどもえの戦闘状態になった。

 PKO部隊は自らの宿営地門前で政府軍装甲車両2台を破壊、交戦する事態も発生。自衛隊宿営地を挟んだ銃撃戦もあった。現地部隊は戦闘状態であることを「日報」に記載。防衛省はこれを隠蔽(ぺい)し駐留を続けた。

 PKOの多くは1980年代までは「停戦監視」が主任務であり非武装が基本。軽火器のみ帯行し、使用は隊員の自己防衛に限られていた。90年代に入って、住民虐殺が防げなかったことを理由に「文民保護」も任務とした。さらに「平和強制」の任務では、武装勢力に対する殺傷的な武力行使も可能としてきた。

 安倍前政権はPKOの任務拡大を利用しながら、さらに踏み込んだケースを想定した。「駆けつけ警護」だ。「正当防衛」や文民保護の「緊急避難」時のみ認められていた武器使用=戦闘行為を、離れた他国部隊の戦闘地域に急行し共に戦闘することを認めた。これは、外国軍との軍事行動であり、日本国憲法下ではできないとしてきた「集団的自衛権」行使だ。まさに、戦争法による実質改憲だ。

アフリカでの権益争奪戦

 なぜ、自衛隊恒久基地がジブチであり、南スーダンへの派兵だったのか。

 一つは、ペルシャ湾から日本へのシーレーン(海上輸送路、とりわけ石油・天然ガス)確保と、最後の巨大市場であるアフリカ大陸での利権確保のためだ。

 アフリカへの投資額は、欧米よりも中国がはるかに大きい。アフリカを西端とする中国の「一帯一路」戦略に対抗するためにも、安倍は「いつでもどこでも」派兵できる戦争法制を整えてきた。他のグローバル資本主義国に後れを取るわけには行かないのだ。《続く》
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