2021年02月19日 1662号

【たんぽぽのように(17) 李真革 希望バスと希望トゥボギ】

 希望バス。

 塩花の木。

 そして金鎮淑(キムジンスク)。

 本紙の読者なら一度は聞いたことがある言葉だと思う。

 2011年、整理解雇の撤回を要求して、釜山(プサン)・影島(ヨンド)の韓進(ハンジン)重工業85号クレーンに上り309日間の高空籠城を闘った、民主労総釜山本部の指導委員である金鎮淑。そして彼女を応援するために釜山に向かった人々が乗った「希望バス」。また、2013年には日本語でも翻訳された彼女の本『塩花の木』。

 その金鎮淑が、この冬の道を歩いている。

 釜山から出発してソウルの大統領官邸青瓦台(チョンワデ)に向けて…。

 35年間、解雇身分だった金鎮淑は、60歳の定年を翌日に控えた昨年12月30日、復職を要求しながら行進を始めた。「希望トゥボギ」(「希望の歩み」とでも訳せるだろうか)という言葉は、彼女と共に歩いている人々が、あきらめずに、続けてコツコツと歩いて行こうと付けた名前だろう。

 金鎮淑が韓進重工業の整理解雇に反対して行った2011年の「309日間の高空籠城」は労使合意を生み出し、仲間たちは復職した。だが、金鎮淑だけは会社側の拒否で解雇労働者として残った。

 そして2018年には、がんの診断を受け、その後2度の手術を経て、今も化学療法中である。

 体も健康でないのに、こんなに寒い冬に、釜山からソウルまでの400`におよぶ行進を開始し、彼女は次のように語った。

 「文在寅(ムンジェイン)大統領に聞きたいです。今この世界の様々な姿、労働者がこのように死んでこれほどに苦しむこの国が、34年前に私たちが催涙弾を浴びて拘束され、解雇されながら作ろうとした、その世界であるのは間違いではないですか?」

 彼女が行進を開始して、国家人権委員会は2月4日、「キム氏は国家暴力の被害者」で「金鎮淑の復職は、従来の労使関係の問題を乗り越えて、国家暴力が引き起こした過去清算の観点から解決しなければならない」と明らかにした。

 新型コロナウイルスを理由に「50人以上集合」は禁止されており、行進は49人ずつで歩いていると聞いた。

 海の向こう、遠くの金鎮淑たちに熱い連帯の心を伝える。

 もう一度「希望」を抱きながら…。

(筆者は市民活動家、京都在住)
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