2021年02月26日 1663号

【コロナ困窮への支援を渋る菅首相/「最終的には生活保護」で大炎上/偏見を植えつけたのは政府・自民】

 「最終的には生活保護という仕組みもある」。新型コロナウィルスの影響を受けた生活困窮者への対策をめぐる菅義偉首相の発言に批判が相次いでいる。背景には、生活保護制度の理念と実態の乖離、すなわち「最後のセーフティーネット」として機能していない現実がある。

責任放棄と批判

 1月27日の参院予算委員会。「コロナ禍で生活困難に陥った人びとに政府の施策は届いているか」と追及された菅首相は次のように答弁した。「いろんな見方があり、いろんな対応策がある。政府には、最終的には生活保護という仕組みもある。しっかりとセーフティーネットをつくっていくことが大事だ」。

 生活保護制度は憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を権利として具体化したものであり、生存権を守る最後のセーフティーネットの役割を期待されている。菅首相が本当にそういう意味で発言したのなら、炎上することはなかったはずだ。

 しかし人びとはそう受け取らず、SNS上には「政治に国民が殺される」「国民を生活保護になるまで追い込む気かよ」といった怒りの声があふれた。これには3つの理由がある。

 一つ目は、菅発言がコロナ禍にともなう生活支援策を出し渋る文脈の中で行われたことである。実際、菅首相は問題のやりとりに先立って「特別定額給付金を再び支給することは考えていない」と述べている。

 減収や失業による生活困窮への支援策が不十分だと指摘されているのに、唐突に「生活保護がある」と口走る。これでは「政府の責任放棄ではないか」との批判が噴出して当然だ。

様々な利用抑制策

 二つ目は、制度や運用上の壁が生活保護の利用を阻んでいる問題だ。たとえるなら、肝心の救命胴衣が隠されたり、穴が開いていたりするのである。

 厚生労働省のWEBサイトには「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにでもあるものですので、ためらわずにご相談ください」というメッセージが掲載されている。それ自体は正しい発信なのだが、実際にやっていることは違う。

 政府・自治体当局は「適正化」と称して生活保護の利用を抑制してきた。福祉事務所の窓口で申請を断念させる「水際作戦」がそうだし、就労指導を口実に生活保護から強引に脱却させるパターンもある。

 悪名高い「扶養照会」も利用抑制策の一つだ。生活保護を申請すると、原則として3親等以内の親族に「援助できないか」という問い合わせが福祉事務所から届く。この仕組みが「家族に知られたくない」と申請をためらわせる大きな原因になっている。

 行政による扶養照会が実際の扶養に結びつくことはごくまれにしかない。それなのに、人手不足で多忙な福祉事務所職員に負担を強いてこの業務をさせるのかというと、利用抑制には絶大な効果があるからだ。

 三つ目は、生活保護を利用することを“恥”とする偏見が広く浸透していることである。「最終的には生活保護」という菅発言によって「生活保護=最底辺」というイメージが喚起された人は多い。だから「どん底に落ちるまで政府は何もしないのか」という怒りを買ったのだろう。

安倍前首相の大嘘

 「生活保護をもらうぐらいなら死んだ方がましだ」という困窮当時者の言葉をよく口にする。実際、生活保護受給そのものが罪悪と言わんばかりの風潮が年々強まっている。これは自民党がメディアを巻き込んで焚きつけた「生活保護バッシング」の影響が大きい。

 2012年4月、人気お笑い芸人の母親が生活保護を受けているとの週刊誌報道を皮切りに、バッシングの火の手が上がった。その急先鋒は自民党の片山さつき参院議員であった。党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」座長をつとめた世耕弘成参院議員に至っては、「生活保護受給者にフルスペックの人権を認めるのはいかがなものか」という、すさまじい差別発言を行っている。

 そもそも、「生活保護費の1割削減」を選挙公約に掲げ、実行してきたのは安倍・自民党政権である。昨年6月の参院決算委員会で、安倍晋三前首相は「生活保護攻撃をしたのは自民党ではない」と答弁したが、これは黒を白と言い張るたぐいの大嘘だ。

  *  *  *

 生活保護基準を下回る経済状況にある世帯が実際に受給している割合を捕捉率という。英国やドイツでは捕捉率が8割を超えているが、日本は2割程度しかない。政府がもたらしたこの惨状を政府の責任で克服しなければ、セーフティーネットは機能しない。(M)

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