2021年03月19日 1666号

【本当のフクシマ/原発震災現場から/番外編12/福島10年・「伝承館」のまやかしを暴く/「天災」化、加害責任隠蔽の集大成】

 2020年9月20日、福島第一原発からほど近い双葉町に鳴り物入りでオープンした施設がある。「東日本大震災・原子力災害伝承館」だ。大して立派でもない施設に、肝心の展示内容もペラペラ、被害者はカンカンという代物だ。

自然災害と同列

 「何だこの施設は!」

 オープン初日。原発事故後に福島に残り、苦難の中で暮らしてきたある県民の怒声が響いた。声の主は今野寿美雄さん。「子ども脱被ばく裁判」原告団長で元原発作業員だ。「原発事故の原因にまったく触れておらず、福島は復興に向けて頑張っているという美談だけが並べられている」と今野さんは憤る。

 実際、館内に展示されているのは津波襲来時刻のまま止まってしまった時計、津波で流されたランドセルなど的外れのものばかり。原発事故も津波同様「天から降ってきた」とでも言わんばかりだ。事故が人災だとの基本認識すらない。

 当然、国、県、東京電力の加害責任を検証しようとする姿勢もまったくない。「誰も経験したことのない事態に(中略)対策に奔走しました」と関係者の頑張りをただ賛美し、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を活用しなかった言い訳などを並べ立てている。SPEEDIのデータを添付したメールを県が「誤消去」したこと、県民が高線量被ばくを強いられた浪江町津島で事故直後、日本原子力研究開発機構が極秘に行った線量測定に県職員が立ち会っていた事実等にも、もちろん触れていない。

東電批判を禁止

 許しがたいのは「放射線に対する正しい理解の欠如や誤解」により「風評」が広がったと堂々と書かれていること、自主避難者のジの字もないことだ。甲状腺検査には触れているものの結果も展示していない。甲状腺被ばくを防ぐ上で重要な安定ヨウ素剤の展示もしているが、実際に住民に配布されたのは三春町くらい。ほとんどの住民には配られていないのに配られたかのような印象を与える展示は欺瞞ですらある。「複合災害を『自分事』として捉えてほしいという県自身が一番他人事だ」。後藤忍福島大学准教授は指摘する。地元からの厳しい声だ。

 問題はさらにある。伝承館には災害を口述で伝える「語り部」が配置されているが「特定の個人・団体に対する批判をしない」との内容が語り部用のマニュアルに記載されているのだ。国・県・東電の過去の政策や事故対応の失敗は徹底的に隠蔽し、東電批判も禁じる。これでは「福島原発事故失敗隠蔽館」だ。

 館長を務めるのは、県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村昇。事故直後の福島で、山下俊一とともに「年100_シーベルト以下の被ばくなら安全」と触れ回った人物だ。風評被害しかなかったとしたい県にとって「最適」の人選である。

 この事態に地元メディアは何をしているのか。ここにも驚くべき事実がある。伝承館の展示内容を検討するため県に設置された資料選定検討委員会の委員に小野広司・福島民友、鞍田炎・福島民報の両編集局長が就任していたことだ。鞍田は出席率も低く、両委員とも目立った発言もしていない。県内メディア2紙もこの無内容な展示にお墨付きを与えていたのである。

 福島民報は、県民の「健康不安」に応えるとして高村に連載を提供。原発推進機関であるICRP(国際放射線防護委員会)が伊達市で行ってきたセミナーには、早川正也編集局次長(当時)が、論文ねつ造男・早野龍五や事故汚染との共存を説く福島「エートス」首謀者・安東量子らとともに参加してきた。

 3・11直後、事故は「政官財学報」の鉄の五角形≠ェ引き起こした、との反省が語られた時期もあった。それから10年。鉄の五角形は縮小しつつ福島に足場を移して「再建」を果たしたように筆者には思える。異論・批判を封じ、新たな安全神話の発信拠点として五角形の中心に位置するのが伝承館なのだ。

わずか半年で見直し

 「教訓がわからなかった」「何を伝えたいのかわからない」。来館者ノートには福島県民の厳しい声が並ぶ。こうした批判を受け、伝承館では早くも展示の見直しの検討が始まる。開館わずか半年での見直しは、「復興・風評」一点張りの県の宣伝戦略の破たんを意味する。県民本位の伝承館に向けた大きな一歩だ。

     (水樹平和)



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