2021年03月19日 1666号

【未来への責任(318) 未来につながる朝鮮人犠牲者認定】

 2月15日、岩手県釜石市で、1945年7月14日と8月9日の連合国艦隊による艦砲戦災の「犠牲者特定委員会」が開催され、その結果が2月26日に公表された。釜石市は日本製鉄株式会社(旧日本製鉄)釜石製鉄所が作成した「朝鮮出身労務者未給与預貯金等明細書」記載の25名の犠牲者について認定した(うち、18名は1976年発行の「釜石艦砲戦災誌」で犠牲者登録済み)。

 1997年9月に遺族と新日鐵(当時)は裁判外和解した。会社は25名の犠牲者全員を殉職者として鎮魂社に奉納し遺族を招いて慰霊祭を挙行した。2007年8月にも遺族は釜石市を訪問し市主催の戦没者追悼式にも出席した。しかし、式典に出席した遺族のうち洪湧善さん、趙英植さん、李相九さんの父親はその時点では犠牲者登録されていなかった。追加認定は、1997年の和解解決を継承する事業でもあった。

 2016年度に釜石市で「犠牲者特定委員会」が設置され、私たちは市に資料提供したが、残念ながら委員会では保留とされた。その後、過去帳調査で協力してくださった元「鉄の歴史館」館長の昆勇郎さん(故人)が残された資料から、戦災直後の市や製鉄所の文書等に朝鮮人犠牲者の記録があることを確認。昆さんをはじめとした「釜石艦砲戦災誌」の編纂委員が出身地に関係なく公文書や寺院の過去帳等から犠牲者を登録していたことを解明した。また、議事録や市の協議の記録を情報公開請求しながら、公正な審査を粘り強く働きかけた。

 これまで、市は釜石製鉄所との関係や日韓関係から朝鮮人犠牲者の認定に及び腰だったが、今回の「犠牲者特定委員会」では、委員長の小野寺英輝岩手大学准教授は「出身国にかかわらず形を整えて追悼できれば」と発言し、記者会見で市長も「国籍に関わらず、少しでも可能性のある方は名簿に登載し追悼していくことが、艦砲戦災被災地である当市の責務である」とのコメントを発表した。また、「戸籍による確認ができない犠牲者」についても、資料や証言で確認できれば幅広く犠牲者認定する方針も示した。私たちの運動が、市の犠牲者認定の姿勢を転換させたのである。

 今年は東日本大震災から10年だ。過去、釜石市は巨大津波や戦災に繰り返し襲われながら、その歴史を継承して未来につなげてきた。今回の犠牲者認定はその歴史に新たな1ページを加えるものとなった。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)

 
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