2021年03月26日 1667号

【助けてぃ くみそーりよー (助けてください) ガマフヤー具志堅さんが訴え 遺骨を新基地埋め立てに使わせない】

 戦没者の遺骨が残る沖縄島南部の土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使う計画が進んでいる。その断念を求めて、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松(ぐしけんたてまつ)さんらが那覇市の県庁前県民広場で6日間にわたってハンガーストライキ(断食闘争)を貫いた。

 最終日6日午前9時27分、ジーパンにジャンパー姿の玉城デニー知事が現れた。具志堅さんは、初日からずっと県庁の知事に向かって「助けてぃ くみそーりよー(助けてください)」と声を上げていた。最後の日に知事の側から具志堅さんに会いに来たのだ。

 「助けてぃ くみそーりよー」は、沖縄戦で糸満市の「魂魄(こんぱく)の塔」近くのガマで生き埋めになった母親の叫び声という。掘り起こした時にはすでに息絶えていたとの話に重ねるように、具志堅さんは、遺骨の声として軍事基地の土砂に使わず、助けてください≠ニ知事に訴えていたのだ。

戦没者を二度殺す

 沖縄戦末期の1945年5月、首里の第32軍司令部は南部へと撤退を開始。6月23日、組織的戦闘が終わるまで「魂魄の塔」や「ひめゆりの塔」がある糸満市の摩文仁(まぶに)から喜屋武(きゃん)一帯は、米軍の最も激しい攻撃にさらされた。住民の6割が亡くなり一家全滅まで出た。当時、沖縄は大雨が続き、道はぬかるみに。艦砲射撃が降り注ぐ中、泥と人の死骸の上を裸足で彷徨(さまよ)い続ける地獄。あたりの土には骨が混じり血や肉が染み込んでいる。それを辺野古の埋め立てに使うことは、戦没者を二度殺すものだ。

 「魂魄の塔」近辺の砕石場の土砂を辺野古に使うことを知った具志堅さんは、沖縄防衛局に南部の土砂採取計画断念を求めた。県には採石業者からの開発届に対し自然公園法により中止を命じるよう、県議会には遺骨が残る可能性が高い南部一帯の未開発・緑地帯での土砂・石材の採取を禁止する条例を制定するよう求めた。具志堅さんの陳情に、県議会は3月22日からの土木環境委員会で審議することになった。

 デニー知事は、具志堅さんに「人道的にいけないということが、いかに法律的につながるかを一生懸命探している」と伝えた。具志堅さんは「いいお土産を持って来れるとは思っていません。会いに来て、訴えを聞いてくれたことがうれしい」と応え、「この問題は役所だけで答えを出さないで、遺族の声を必ず聞いて。県民だけの問題ではない。日本兵もいる。全国の遺族会にもかかわる。行方不明の米兵239名の遺骨かもしれない。朝鮮半島出身者の遺骨もある。国際的な人道問題です」と訴えた。

県庁前に市民300人

 辺野古新基地建設では大浦湾の軟弱地盤改良工事に、さらに大量の土砂が必要になった。しかし、県の条例で県外からの土砂搬入に厳しい制限が課せられ、沖縄防衛局は大半の土砂を県内調達に切り替えた。それに応じた県内の採石業者が行政手続きもきちんととらず所かまわず採掘を進めたことで、遺骨の眠る今回の土砂採掘問題となった。新基地の埋め立てはいっそう見通しが立たなくなった。

 20万人が犠牲となった沖縄戦の「祈りの地」にまで手をつけた政府・沖縄防衛局。県庁前には、市民300人以上が居ても立っても居られないと駆けつけた。南部で家族を亡くした遺族や小学生の子ども連れなど、具志堅さんを励まそうと県内各地からの参加だ。

 菅義偉(すがよしひで)首相は、国会答弁で「遺骨に配慮した上で、土砂の採取が行える」と開き直った。だが、具志堅さんは「琉球石灰岩に似た遺骨は完全に取り除くことなど不可能」と断言する。

 ハンストは終ったが、南部の土砂採取を断念させるまで県庁前では連日署名活動が続いている。 (N)



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