2021年04月09日 1669号

【18の政策とは/沖縄の平和運動に学ぶ/第3回日米安保条約(3)―在日・在沖米軍基地をなくす】

 日本政府が米国に全土の軍事基地化≠保障した日米地位協定で最も被害を受けるのが沖縄だ。

 国土面積の0・6%しかない沖縄県に米軍専用施設の70・6%が集中している。

 その原因はアジア太平洋戦争末期の沖縄戦にさかのぼる。沖縄に上陸した米軍は、住民を強制収容所に閉じ込めている間に住宅地や農地を接収し基地を造り拡張した。本土の米軍基地が国有地内にあったのに対し、沖縄では多くの民有地が基地に取り込まれた。当時確立し米国も調印していた戦時国際法ハーグ陸戦条約で禁じられていた行為だ。

 日本政府は1972年の施政権返還後も米軍基地を提供し続けた。財産権を保障する新憲法下で政府による強制収用手続きを定めた土地収用法は、軍事目的での収用を認めていない。だが、政府は米軍用地特別措置法などその都度新法を制定し、契約を拒否する県民に賃貸借契約を強要した。

生活と結んだ平和構築

 沖縄戦の犠牲者は県民の4人に1人、12万人以上にのぼる。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の艦砲射撃だけでなく、逃げ込んだガマ(地下壕)などで日本軍から強制集団死に追いやられ、沖縄民衆は「軍隊は住民を守らない」を教訓とした。その教訓から「戦争につながる一切を拒絶する」生き方を選んだのが反戦地主だ。

 反戦地主は、日本政府の様々な圧力を跳ね返し米軍用地の賃貸借契約拒否を貫く一方で、米軍用地内で耕作し畜産し生活と生産の場へと変えていった。自治体レベルでは、憲法第9条を執務室に掲げ自ら米軍基地のゲート前で抗議行動を続けた山内徳信村長に代表される読谷村の闘いがある。読谷村は、米軍用地を徐々に取り戻して公民館、地場産業施設、農地に転換し、村役場本庁舎も建設した。地方自治の理念に基づき、米軍基地を住民の生活と生産の場に変えていった。

 労働組合も反戦・反基地運動を切り開いた。米軍基地労働者の全軍労は、朝鮮戦争・ベトナム戦争で米軍基地から爆撃機が飛び立つのを目の当たりにした。沖縄戦、米軍占領統治の被害者でありながら、両戦争の加害者ではないかとの思いで、全軍労は、自らの職場である米軍基地の撤去(それは失業の危機を生む)を要求する闘いの先頭に立ったのだ。

 MDS平和政策は、沖縄の闘いに学び生活と結んだ平和構築にある。現在の辺野古名護新基地建設反対闘争につながる。 《続く》

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