2021年04月16日 1670号

【東アジアの平和へZENKO参加団in広島 侵略への軍都広島、軍事化の今を学ぶ】

 3月27日に呉市、28日広島市で、「東アジアの平和のためのZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)参加団in広島」を実施した。軍都広島が侵略戦争で担った役割を中心に、その被害、歪曲された歴史認識、呉の軍事化の現状を、フィールドワークや講演会を通して学んだ。

 まずは、大和ミュージアム見学。参加者から「戦争に対する反省もなければ、礼賛もなく、何しろすごい巨大な戦艦を建造したことを強調する内容で、その技術があったことで戦後の発展につながったという流れの展示でした」との報告や「これでは、偏った歴史観を持つ人が増えるのでは」と懸念が寄せられた。

 その後、西岡由紀夫さん(ピースリンク広島・呉・岩国)の案内で、軍国主義美化政策の日本遺産に登録されている歴史の見える丘等のゆかりの地や空母化が進む護衛艦「かが」の母港、海上自衛隊呉基地等へ。

 夜には、毒ガス兵器生産の拠点だった大久野島の歴史について、山内正之さん(大久野島から平和と環境を考える会)に講演していただいた。オンラインでも7名の参加があり、大学生から「毒ガスによって残酷な被害を与えた加害者としても責任を持ち、伝えていくことも必要だと学んだ」と感想が寄せられた。

 2日目は、広島平和記念資料館を見学後、多賀俊介さん(廣島・ヒロシマ・広島を歩いて考える会)から「平和記念公園と朝鮮人」と題して朝鮮人被爆者に対する差別政策などのお話を受け、碑めぐり案内人の平原敦志さんのガイドでフィールドワーク。また、藤原浩修さんの案内で旧大本営跡などがある広島城周辺を巡り、広島が大戦下の重要な軍事拠点だった事実を詳しく学んだ。

(ZENKO広島 T・N)


被爆者追悼の思いも込め 命は地球より重い

 16歳のとき広島で被爆したMさん(寝屋川原爆被害者の会副会長)が2月下旬に亡くなられました。「核廃絶まで死ねん」「加害のことも考えないといけん」と話していたMさんの追悼の思いを込めて、呉、広島を訪れました。

 1日目、「大久野島の歴史―日本侵略戦争と毒ガス製造」というテーマの講演がありました。大久野島の毒ガス工場に動員された人たちは、毒ガスを作ることを知らされずに集められ、満足な防護服も与えられず、亡くなる人、病気になる人が続出。これは原発で働く労働者に放射能の危険性を教育せず、消耗品扱いしているのに通じます。日本は、侵略戦争で中国人、日本人の命をないがしろにしてきました。私たちは、どこの国の人の命であろうと命は地球より重いことを基本にした社会をつくっていかなければと思います。

 大和ミュージアムでは、戦艦「大和」をつくった技術が戦後復興の役に立ったと、アジアの人々を何千万と殺戮した侵略戦争への反省・謝罪の言葉が全くなく驚きました。呉で見た護衛艦「かが」の空母化、日米豪印の共同訓練など、軍事力強化に最大限の警戒を払わなければと思います。
(大阪・寝屋川 平和と市民自治の会 山崎一典)

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