2021年04月30日 1672号

【未来への責任(321)/「同進会」会長・李鶴来さん追悼】

 3月28日、在日韓国人・元BC級戦犯の李鶴来(イハンネ)さんが96歳で他界された。

 李さんは、1942年、朝鮮半島からタイに日本軍の捕虜監視員として動員され、戦後は日本の戦犯として裁かれ、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効で日本国籍を失って今度は日本の援護制度からも外された。1955年4月に結成された「韓国出身戦犯者・同進会」の会長を務めた。

 4月1に、同進会結成66年を祈念して李さんのビデオ出演が予定されていたが、急きょ「李鶴来会長をしのび、遺志を継いで、外国籍BC級戦犯者問題解決のための早期立法化を願う集い」として開催されることとなった。遺影のおかれた集会は、多くのメディア、国会議員、支援者で埋め尽くされ、同じく父親が戦犯だった二世の朴来洪(パクネホン)副会長が追悼の言葉を述べた。

 私が李さんと出会ったきっかけは、私たちが取り組んだ在韓軍人軍属裁判(グングン裁判)の原告の一人がBC級戦犯者の息子・羅鐵雄(ナチュルウン)さんだったからだ。グングン裁判は、日本軍に徴用徴兵された韓国人軍人軍属414名が原告となり、日本政府を相手取り謝罪と補償を求め2001年に起こした裁判(2011年敗訴確定)。そのグングン裁判第3回口頭弁論(2002年)で来日した羅さんを温かく迎えてくれたのが李さんだった。

 口頭弁論終了後の集会には、李さんとともに、同じ元BC級戦犯・兪(ユ)トンチュウさんも駆けつけてくれた。兪さんは羅さんのお父さんと一緒に徴用され、終身刑でチャンギー刑務所から日本の巣鴨プリズンへ移送、そこでも一緒であったという。羅さんのお父さんは「恩赦」で出所したものの補償も手当もなく、帰国後も生活は苦しかったという。しかし、捕虜収容所の監視員でBC級戦犯となったことなど、ほとんど口にしなかった。

 そんな羅さんのことを思ってか、李さんは豊島区サンシャイン近くの巣鴨プリズン跡を一緒に訪ねた。持参した写真等をみながら、羅さんの父がどういう生涯を強いられたか、教えてくれ、羅さんは、それまでの長い空白を埋めることができたという。李さんが、仲間の息子として本当に親身になって羅さんに対応してくれたことが心に残る。

 韓国・朝鮮人BC級戦犯者の国家賠償等請求訴訟弁護団は3月28日、「政府および国会は、司法の見解を尊重し、速やかに立法措置を講ずるべき」と声明した。「同進会」を応援する会代表の内海愛子さんは「李鶴来の遺影に、それでも事態は動きました、と報告できる日が一日も早く来るよう」と立法化への支援を訴えた。李鶴来さん、何もできなくて申し訳ない。微力ながら闘い続けていきます。

(グングン裁判の要求実現を支援する会 御園生光治)

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