2021年05月07・14日 1673号

【MDS18の政策とは/植民地支配から侵略戦争へ/第4回「過去清算」と植民地主義の克服(1)】

 グローバル資本が安倍前政権・菅政権によって実現しようとする「戦争ができる普通の国」への変貌は、国籍・民族・性別などで色分けした他者≠ヨの差別を通して攻撃・支配することを当然とする排外主義を拡大した。

 戦前の排外主義は植民地主義と一体でつくりだされた。天皇を頂点とする大日本帝国は、「日本より劣る」と見なすアジア諸国を糾合して「大東亜共栄圏」を形成し、「欧米列強に対抗する」との政策を「国民=臣民」に浸透させた。そして「日本軍慰安婦」=戦時性奴隷や強制連行・強制労働といった重大な人権侵害をもたらした。

 この植民地主義・排外主義は、現在も根強く残る。その表れが、戦後補償の拒否であり、民族学校への不当きわまりない「官製差別」だ。好戦勢力と対決しアジア民衆との平等互恵・共存共栄を実現するうえで、こうした差別を克服し解決することは不可欠だ。

アイヌ、琉球の支配

 明治維新に始まる日本の近代化は、植民地主義とともに進展していった。植民地主義の始まりは、北はアイヌモシリ(アイヌ民族の生活圏、アイヌ語で「人間の大地」の意)、南は琉球の植民地化に始まった。

 明治政府はアイヌモシリに「北海道開拓団」を入植させてアイヌ民族を辺境に追いやり、経済的にも収奪していった。一方、琉球王国を解体し沖縄県として併合した。アイヌにとっては「和人(わじん)」、琉球にとっては「大和人(ヤマトンチュ)」の言語、氏名、教育を強要し、差別しながら「国民」として天皇制の下に統合していった。

 明治政府は「脱亜入欧」「富国強兵」「殖産興業」を掲げて国力・軍備の強大化を図り、西洋列強の後を追う。「大日本帝国」を名乗り、帝国主義国家として日清戦争(1894〜1895年)・日露戦争(1904〜1905年)に踏み出し、台湾・朝鮮半島を植民地化した。

 1931年、柳条湖事件=「満州事変」を引き起こして日中戦争に突入。中国への侵略を本格化させる。1938年、「国家総動員法」を制定し、すべての人的・物的資源を政府が管理・統制・運用する戦争遂行体制を確立していった。その総動員体制の下、アイヌ・琉球民衆はもとより台湾・朝鮮の人びとも「国民=天皇の赤子」として、日本の戦争遂行に組み込んでいった。

 こうした総動員体制は「国民」のみならず、侵略先の中国・アジア民衆から連合軍捕虜にまで及んでいく。労働力としての「強制連行・強制労働」、「慰安所」での戦時性奴隷と、さまざまな形での戦争被害者を生み出していった。当時の戦時国際法にも反する人権侵害・残虐行為であり、戦争犯罪だ。

   《続く》
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