2021年05月07・14日 1673号

【医療問題研究会会員らの「放射線による健康障害」論文を批判した国連科学委の役割/「原発安全神話」崩壊に危機感/「低線量では障害は起こらない」と「放射線安全神話」を吹聴/医療問題研究会 林敬次(小児科医)】

 東日本大震災・福島原発事故から10年が過ぎました。原発事故処理は遅々として進まず、窮地に追い込まれた政府は放射能汚染水の海洋放出という暴挙に出ようとしています。事故は起きないとする「原発安全神話」は崩れました。そこで、原発推進派がすがりつくのは「放射能安全神話」です。

 井戸謙一弁護士が「『原発安全神話』が崩壊した今、背水の陣を敷く原発ムラは『放射能安全神話』を流布し、浸透させている」(3/14「原発事故から10年、3・11行動全国の集い」)と指摘しています。原子力ムラの連中は、福島原発事故は起こったが放射線による健康障害は生じていない、原発事故は恐ろしいものではない、と言いたいのです。

ターゲットになった3つの論文

 これから紹介するUNSCEAR(アンスケア)(国連科学委員会、以下「科学委」)の動きもその一つです。科学委は3月9日、「2020年報告」を出しました。その報告では、「福島原発事故の放射能に関連した甲状腺がんなど健康障害はない」としているのです。これを鵜呑みにしたテレビや新聞は「すべての健康障害を否定した」と大々的に報道しました。まるで世界の科学者が「福島原発事故後の健康障害なし」と認めたかのようにです。こうして「放射能安全神話」ができ上がり、広がってしまいます。

 内閣のホームページにも「2020報告」の解説が掲載されていますが、放射能汚染水の海洋放出方針決定(4/13)に利用されたと言えるでしょう。

 しかし、科学委はおよそ「科学」とはかけ離れた存在です。チェルノブイリ原発事故の時も、多岐にわたる健康障害の発生を立証した膨大な研究発表を無視して、「20年の追跡研究の結果、青少年期の放射性ヨウ素への暴露(による甲状腺がん)と大線量をあびた緊急作業者の健康問題しか残らない」としたほどです。福島では甲状腺がん異常多発さえ否定しているのです。

 そんな科学委ですから、私たちが世界的医学雑誌に発表した「周産期(出生前後1週間)死亡率が放射能汚染の強い地域で増加している」との論文(1)(ハーゲン・H・シェアプ、森國悦(くによし)、林敬次2016年)、「甲状腺がんの増加率と放射線量が関連する」との論文(2)(山本英彦、林、シェアプ19年)、さらに「出生時の体重が軽い子の比率が全国で放射線量と比例して増加している」との論文(3)(シェアプ、林20年)は無視されるだろうと思っていましたが、無視できず、科学委は否定しにかかりました。

はじめから「被害なし」が前提

 「2020報告」はどう書いているか。まず、福島原発事故による被曝量は少ないとの文章が延々と続きます。その後に、健康障害が増加するほどの被曝をしている人はほとんどいないので、健康障害が生じることはない、との前提で議論しています。

 健康障害の評価では、多くは福島県県民健康調査のデータを基にした福島医大発の論文などを根拠に健康障害はなかったと否定します。さらに、WHO(世界保健機関)の報告で推定されていた白血病などの増加も、データがないと否定しました。

 甲状腺がんの項目では、多発をごまかしてきたこれまでの論理を並べたてます。「超音波機器での検診だから多く見つかっただけ」、「チェルノブイリで増加したのは4年以後で、福島は増加が早く表れすぎ」などです。しかし、科学委はチェルノブイリでは超音波検査による発見であっても、事故による増加だと認めています。時期については、チェルノブイリで超音波機器での検診を開始したのが事故後4年経ってからなので、発見急増が「遅かった」のはあたりまえです。

 こんなことを並べ「ほとんどの研究者は(甲状腺がん増加と被曝線量との関連の)統計的有意な発見をしていません」と結論づけています。科学委が根拠として6つの論文をあげていますが、あやしい内容が含まれています。それらには、疫学的手法で普通に検討すれば十分その関連を証明できるのに、あえて関連がわからないように操作しているとしか思えないものもあります。

 それに対して、「甲状腺がんが増加した」と立証した岡山大学津田敏秀氏らの著名な論文や「被曝線量を経過時間で正しく補正すると関連は明確」とする加藤聡子(としこ)氏らの論考をとりあげ、その結論を否定しています。

反証なく的外れなケチつけ

 続いて、「福島県の59市町村の平均線量率と…発見された甲状腺がんの検出率とは統計学的に有意な関係を示した」と分析結果を示した私たちの論文(2)を取り上げ、的外れの批判をしています。実はこの論文ではヨウ素もよく検討しているのですが、「放射性ヨウ素との関連の証明をしていない」と決めつけ、「分析できるようなデータがない」「『個人の被曝線量』による分析がない」とも非難しています。

 一方、甲状腺がんと放射線との関連を否定する論文に対しては指摘しないような「弱さ」を、私たちの論文には長々と論じています。何とか私たちの論文の意義を否定したいとの思いが透けて見えます。

 妊娠結果に関する項目では、「出産前後1週間(周産期)の死亡が増加した」との私たちの論文(1)に対する批判に3分の2を使っています。過去、この論文(1)を否定しようと環境省が調査研究を行いましたが、結局、失敗に終わった経験があるためでしょうか、今回のものはほとんど内容的な批判はありません。

 どうケチ付けしているかというと、原発推進派が用いる反科学的常套手段を使っています。「推定実効線量は0・2から4・3マイクロシーベルトしかないことを考えると、もっともらしいとはみなせない」としています。「低線量では障害がない」と決めつけて、周産期死亡の増加という事実を否定するのです。

 科学委は「妊娠の結果に関する障害がない」とする論文をいくつも肯定しています。しかし、それらの論文には間違いがあることを、私たちが論文(3)でしっかり批判していますが、これは無視しているのです。

   *  *  *

 以上のように、私たちが発表した「福島原発事故による明確な健康障害あり」の3論文のうち、2論文が事故後10周年の国連科学委員会「2020報告」に引用され非難されています。これは、福島原発事故による放射線で健康障害が生じたことを証明する論文が数少ない状況の中で、私たちの論文が「安全神話」にとって非常に目障りな科学的研究だと認識されている証拠と思われます。

 私たちの論文は、原発被害者の皆さんや反原発で闘っている方々に背を押され書いたものです。また、ドイツ在住の桂木忍氏の紹介で共同研究を始めたドイツの著名な科学者ハーゲン・H・シェアプ氏なしには完成できないことでした。また、この過程で岡山大津田敏秀氏や元京大原子炉実験所今中哲二氏などにご指導を受けました。これを契機に、「放射能安全神話」との闘いを強化しなければならないとの思いをより強くしました。



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