2021年05月07・14日 1673号

【インタビュー 避難者を支援する 柳原敏夫弁護士 国際法で無法をただす これは人間裁判≠セ】

 区域外避難者を支援する柳原敏夫弁護士に聞いた。(4月25日、まとめは編集部)

原発事故から10年経った福島の現状をどう受け止めていますか。

 最初に個人的感想を。福島原発事故は私にとって、自分があと百年、たとえ千年生き永らえたとしても二度と体験できないような未曾有の出来事でした。福島第一原発の故 吉田所長の証言の通り、東日本壊滅寸前までいった訳ですから。余りにも強烈な出来事であるために、ほとんどこの世のものとは思えない、かえって現実感が持てないものに思えました。

 しかし、「311」後に生きるとは、前例のないこの非日常性、非現実感と向き合うことなんだとも思い知らされました。他方、コロナ禍でも反復しましたが、私たちの科学技術は実は余りにも貧弱で、大気中に放出された膨大な放射性物質から放射線の発射を止めることすらできず、放射性物質のなすがままで、命、健康を守るために私たちのできることは「放射能から逃げるだけ」という無力な状態です。故に、こんないまいましい、のろわしい福島原発事故を一刻も早く忘れたいという私たちの願いに反し、放射能は福島原発事故を容易には忘れさせてくれない。福島原発事故は百年単位で注視するほかないもので、10年後の今、福島原発事故はまだ始まったばかりの現在進行形の前例のない人災なのです。

 これが原発事故が過酷事故と言われる所以(ゆえん)です。この情け容赦ない放射能の性質と向き合う時、放射能に被ばくしたくないと考え、避難を続ける福島県民のことをどうして非難することができるでしょうか。彼らこそ、前例のない過酷事故に遭って、命、健康を守るために、前例のない避難行動に出た人たちなのですから。コロナ禍でウイルスに感染しないために「三密回避」が推奨されたように、彼らこそ、現時点で唯一有効な放射能対策「被ばくしない」ことを実行した人たちなのですから。

住宅明け渡し、損害賠償請求など福島県の行動は法的にどのような問題となりますか。

 原発事故で福島から避難した人たちの救済について適用された法律は基本的に災害救助法でした。その結果、避難者に提供される住居にいつまで居住できるかも、災害救助法の条文に従い、もっぱら行政の判断で退去の時期も決められるとされました。しかし、日本政府も福島県もここで致命的な誤りをおかしました。それは福島原発事故の結果、日本の法体系が原発事故の救済に関する法規範が全く未整備で、いわば「あたり一面ノールール」=無法状態という深刻な事態が生じたのに、それを自覚しなかったことです。

 つまり日本政府は311まで日本に原発事故が発生するとは想定しておらず(名実共に安全神話の上にあぐらをかいていた)、原発事故の現実の発生を前提とした救済について何も制定していなかった。災害救助法も原発事故についてはノールールでした。そこで、本来であれば、この深刻な無法状態を解消するため速やかに災害救助法の改正による解決が求められた。しかし、日本政府は怠慢にもこの立法化をしなかった。

 その時、私たちはただ手をこまねいて諦めるしかないのか?そんなことはありません。立法に代わる措置として、「法律の解釈」によりノールールの穴埋めが可能です。しかもその穴埋めにピッタリ最適な法規範が存在するのです。本件だとそれが「人災である原発事故による避難者の居住権」について定めた国際人権法という国際法(条約)です。

 国際法(条約)があなどれないのは、もともと法体系というのは序列が明確に決まっていて、日本国内の法体系において、国際法(条約)が法律よりも上位にあることです。その結果、もし国際法(条約)が法律の条文と対立・抵触する場合には、上位規範である国際法の内容のとおり法律が変更されます。ちょうど、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森前会長が日本国内で通用すると思った女性蔑視発言が国際社会から「おかしい!」と批判され、世界の常識の前に屈服したようなものです。いくら災害救助法が国内で威張りくさっていても、その内容が国際人権法(条約)と対立・抵触する場合には、上位規範である国際人権法の内容に即して変更されざるを得ないのです。

 ところが、日本政府も福島県も災害救助法を適用するにあたって、このような国際人権法の発想・視点が全くありません。ひたすら国内法しか頭になく、もっぱらそこから避難者の退去問題の政策を決定したのです。この態度こそ、原発事故を起しておきながら、その後もずっと安全神話の夢から目覚めず眠りこける大失態ではないかと思います。

 言い換えると、本件は単なる居住権の問題ではなく、「人災である原発事故による避難者の居住権」という問題です。この問題の実質に即して正しく解決する法規範とは、従来の解釈に従った災害救助法ではなく、国際人権法という国際法の光を当て、これに基づいて新たに解釈された災害救助法等です。

避難者が裁判を闘う意義はどこにありますか。

 以上述べた国際人権法の光によって、福島からの避難者は、自分たちが決してエゴイズムで居住権を主張しているのではなく、「人間として扱え」というささやかな願いから居住権を訴えていることが初めて正面から理解されるのだと思います。その意味でこれは「人間裁判」です。

 1951年新潟県生まれ。ふくしま集団疎開裁判の弁護団長、子ども脱被ばく裁判の弁護団として福島原発事故に向き合う。市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会共同代表を務める。
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