2021年05月21日 1674号

【未来への責任(322)/遺骨は国のものではない】

 沖縄県では、遺骨を家族に返す取り組みが実を結ぼうとしている。厚生労働省は今年の10月からアジア太平洋地域の遺族からのDNA鑑定の開始を発表した。沖縄の遺骨を家族に返す闘いが全国の遺族に希望をもたらしている。

 2016年戦没者遺骨収集推進法以降の闘いを振り返る。

 以前、厚労省が「遺骨とともに名前を書いた遺品が出なければDNA鑑定はしない」と言っていたのを、遺品がない遺骨も鑑定することにさせた。名前の書いた遺品など100体の遺骨に一つも出てこないように、非現実的な話だった。次に軍人の遺族しか対象になっていなかった鑑定を沖縄県民にも認めさせた。その結果1000名に及ぶ遺族が鑑定申請するに至っている。

 さらに、厚労省の「亡くなった場所の記録が無ければ遺骨と照合しない」という枠から、南部全域の遺骨と遺族を照合することまで認めさせた。沖縄県民はどこで亡くなったかなど記録がない。軍の記録も実際とは違う。そして、「遺骨は歯のある遺骨しか鑑定しない」という方針を変更させ、手足などの骨も鑑定対象にした。これによって鑑定対象の遺骨は84体から700体に一気に拡大した。骨の一片たりとも残すことなく家族のもとに帰ってほしいという遺族の思いに応えさせたのだ。

 次に、沖縄戦以外で亡くなった沖縄県民の集団申請を受け付けさせた。沖縄では、サイパンやフィリピンに移住して亡くなった人たちがおり、その人たちの希望をつないだ。最近では、アジア太平洋地域で行われていた遺骨の現地焼骨に対し、DNA鑑定をできなくするものだとしてこれをやめさせている。厚労省との意見交換会で「遺族は焼骨を望んでいない」という遺族の声がマスコミを通じて全国に報道された結果だ。

 このような闘いの原動力は、沖縄戦の遺骨を家族のもとに返してほしいという沖縄県民や、本土から動員され亡くなった日本兵の遺族、動員され無念に亡くなった韓国人遺族の思いにあった。

 多くの遺骨がまだまだ収容されてもおらず、多くの命の染み込んだ南部土砂を辺野古の基地に使おうなどということが許されるはずもない。

 私たちは6月23日、全国から集まる沖縄戦遺族に、ガマフヤー(遺骨収集ボランティア)の具志堅隆松さんたちとともに、このことを訴える計画だ。遺骨は国のものではない、遺族のものなのだ。基地に賛成の人も反対の人も、これだけはやってはならないと言う時だ。

(戦没者遺骨を家族のもとへ連絡会 上田慶司)

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