2021年06月18日 1678号

【コラム見・聞・感/信楽高原鉄道列車正面衝突事故30年 変わらぬJR西日本の体質】

 1991年5月14日、滋賀県・信楽高原鉄道で起きた列車正面衝突事故から30年経った。信楽町で開催中の「世界陶芸祭」に合わせて信楽高原鉄道に臨時に乗り入れてきたJR西日本の急行列車と、信楽高原鉄道の列車が単線上で正面衝突。衝撃で「く」の字に折れ曲がった列車の姿は今も忘れることができない。

 信楽高原鉄道は、国鉄再建法に基づく第1次特定地方交通線・信楽線を継承した第三セクター鉄道だ。赤字線を一度は見捨てておきながら、儲かるイベント時だけ徹底的に利用し尽くし、42人の命を奪い去ったJR西日本の利益優先、安全軽視の姿勢は厳しい批判にさらされた。国鉄分割民営化によりJR7社が発足してからまだ5年目。特定地方交通線廃止によって市民・利用者にも多くの犠牲を払わされた記憶が強く残る時期にそのような事故を起こした以上当然だ。

 JR西日本は、JR東日本・東海と比べて中国山地などでのローカル線を多く抱える一方、運賃・料金は本州3社同条件でスタートするという厳しい経営条件だった。当時はまだインターネットもない時代だったが、筆者は「民営JR7社体制は、西日本の安全問題といずれ必ず訪れる北海道のローカル線問題を『両輪』として破滅へのレールをひた走ることになる」と警告した。JRが絶好調の時期だけにほとんどの人から笑われたが、30年後の今日、それを疑う人はいない。

 JR西日本はその後も尼崎事故、新幹線のぞみ台車亀裂事故を起こした。信楽高原鉄道と折半していた被害者への賠償を、裁判まで起こして信楽高原鉄道に押しつけようとした。ここでJR西日本がきちんと反省していれば後続事故は防げていただけに、JR西日本を監視できなかった筆者らの非力を詫びるしかない。

 当時、公共交通機関の事故調査組織で常設のものは海難審判庁、航空事故調査委員会のみだった。だがこの事故をきっかけに結成されたTASK(鉄道安全推進会議)の活動が実り、航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の常設が10年後に実現。貴い犠牲と引き替えに多くのものを得た事故でもあった。

 高速バス事故は今も時折発生、北海道のローカル線も全滅寸前だ。命も雇用もローカル線もすべて奪った分割民営化。新自由主義と決別しJR再国有化を目指すときだ。

(水樹平和)
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