2021年06月25日 1679号

【18の政策とは/アジアの戦争犠牲者の告発から 第4回戦後補償 「過去清算」と植民地主義の克服(2)】

 戦後補償問題が敗戦後80年近くたつ現在も解決されていないのは、戦前から続く植民地主義が清算されていないからだ。

 1945年の敗戦時、支配層がポツダム宣言を受け入れたのは「国体護持」(天皇制存続)と引き換えであり、米国を中心とする東京裁判に見られるように、侵略戦争の責任追及は最高責任者である天皇にまで及ぶことはなかった。

 一方、民衆の側も、全国的な戦災、原爆被爆をはじめ「被害者体験」を出発点とする反戦・平和運動が主流だった。「教え子を再び戦場に送らない」(日本教職員組合)など戦時体制を担わされた結果としての加害者の視点はあったが、あくまでも日本人への責任で、アジア民衆へ眼を向けた運動は多くはなかった。

 しかし、90年湾岸戦争後、91年に強行されたペルシャ湾への掃海艇派遣が内外の反戦平和勢力の認識を変えた。戦後初の海外派兵は、ペルシャ湾の機雷除去を口実に海上自衛隊掃海艇を派遣するもの。掃海艇は、日章旗と旭日旗(旧日本軍旗)を掲げアジア各国に寄港し中東を目指した。アジア民衆に過去の侵略戦争を想起させるものとなった。

 91年、日本軍「慰安婦」=性奴隷被害者の金学順(キムハクスン)さんを皮切りに、アジア各国の戦争犠牲者は次々と日本の戦争責任、植民地支配責任を追及する声を上げた。これに呼応する形で日本でも市民・学者らがその実相を調査し支援・連帯運動を立ち上げ、国連人権委員会への告発など国際的な広がりを作り出した。日本軍性奴隷の問題は、「過去清算」から戦時性暴力の課題、#MeToo運動にもつながる人権保障を求める運動へと発展した。また、強制連行・強制労働問題も、反基地運動、解雇争議と連帯する広がりを生み出した。

 一方、「新しい歴史教科書をつくる会」(97年設立)の運動に見られるように、植民地支配の歴史を批判する評価を覆し、史実を歪曲し賛美する歴史修正主義が台頭した。以降、戦時性奴隷問題や強制連行・強制労働問題、「明治産業革命遺産」等での歴史改ざんなど、官民の歴史修正主義はとどまることを知らない。

歴史修正から差別政策へ

 それはさらに、朝鮮・中国敵視の戦争路線と一体で排外主義政策に突き進んでいく。朝鮮学校の高校授業料無償化政策からの排除を司法までが容認し、政府は幼保無償化からも除外した。コロナ対策でも、大学生緊急支援金の対象から朝鮮人大学生を排除し、さいたま市は朝鮮学校幼稚園のみ感染防止用マスク配布対象から外す(後に配布)など差別政策が横行。「官製ヘイト」が扇動されている。

 だが、世界に目を転じれば、植民地支配の被害者を中心とした植民地主義克服への闘いが前進し、国際的な潮流となっている。

        《続く》
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