2021年07月16日 1682号

【コロナ禍 炎天下の五輪に子ども動員 不合理受け入れを強要】

 東京に緊急事態宣言発令と報じられている。五輪の開催自体無謀なことだが、政府や大会組織委などは今も観客を入れることを諦めていない。

 そんな中で、子どもたちの五輪観戦をキャンセルする自治体が少しずつ増えてきた。「新型コロナの感染や熱中症の不安が拭えない」「学校行事では電車利用は控えており、五輪だけ特別扱いはできない」。子どものことを第一に考えれば、観戦をやめるのは当然の判断なのだが、その数は全体から見ればわずかだ。

 報道によれば、東京の62区市町村のうち観戦をやめたのは6月末の時点で14の自治体だけで、ほとんどが「未定」と態度を決めかねている。全体でもキャンセルは1割強にしかならない。当たり前の声がなぜ大きくならないのか。

「五輪教育の集大成」

 子どもの動員は、東京五輪組織委員会が企画した「学校連携観戦プログラム」に基づく。競技会場のある自治体や東北大震災の被災県などを対象に128万人の児童生徒を動員しようというコロナ前の計画だが、見直しはされていない。組織委は団体鑑賞チケットを割安で提供、自治体が公費で購入。この「子ども枠」は五輪関係者同様、別枠扱いになる。並々ならぬ位置づけがあるということだ。

 東京都教育庁が2018年に出した資料によれば、公立学校では16年から週1時間程度の「五輪教育」を行ってきた。その集大成として競技観戦が位置づけられている。「五輪教育」で何を学ばせるのか。育成をめざす5つの資質のうちの一つが「日本人としての自覚と誇り」。東京都の基本政策「2020年に向けた実行プラン」事業の「未来を担う人材の育成」にも位置づけているという。

 つまり五輪観戦は「日本人としての誇りをもった人材育成」の一環というわけだ。本音は「盛り上がりの演出に子どもが必要」程度としか考えていないのだろうが、「国威発揚」と混然一体となって、位置づけが独り歩きしていく。

 教育庁は競技観戦の教育効果を強調しながら、一方ではあくまで「観戦は学校からの希望」による形にしている。そうであれば「キャンセルは自由」のはずだ。ところが実際は、ある校長が「(希望しないとの選択は)そんなことしたら白い目で見られる」(6/18毎日)と語るように自由な選択などありえない。

 結局、熱中症で倒れようが、コロナ感染が発生しようが、その責任は「希望した学校」にあるということになる。学校は保護者に「同意書」を提出させ、責任を回避ようとしている。なんともおぞましい構図だ。

 有無を言わさぬ子どもの観戦は戦時中の「学徒動員」に重ねて批判されている。それ以上に「志願」の形に仕立てた「特攻隊」に似ている。いかに理屈が通らなくても、決められたことは黙って実行する―これが五輪観戦の「教育効果」というわけだ。猛暑の中で、片手にはスポンサー企業のペットボトルを、もう一方の手には日の丸の小旗を持つ子どもたちの姿が見えるようだ。五輪を中止しろ。子どもをダシに使うな。今あげるべき声だ。
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