2021年07月16日 1682号

【未来への責任(326)遺骨土砂 具志堅さんハンストを共に(1)】

 昨年4月、辺野古基地建設現場の軟弱地盤問題で設計変更を余儀なくされた防衛省は沖縄県に設計変更を申請した。その際、沖縄島南部からの土砂採掘の計画も出された。しかし、このことは誰も指摘していなかった。11月、具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さん(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」)が遺骨を掘るそばで業者が採掘準備を進めていたことで初めて分かった。3月、具志堅さんはハンストに立ち上がった。この闘いを通じて南部の土砂採掘計画が県民に明らかになり、怒りは爆発した。

 第2次ハンストは、6月23日の「慰霊の日」に向け、沖縄県民の心を一つにし、辺野古基地設計変更申請不承認の知事の判断を後押しする闘いとして再スタートした。

 私は毎年6月23日、具志堅さんとともにDNA鑑定説明会、平和公園でのDNA鑑定の集団申請呼びかけを行ってきた。今年は具志堅さんの行動に参加した。その様子をお伝えする。

 ハンスト1日目(6月19日)は沖縄県庁前で始まった。私は2日目の20日朝5時過ぎに家を出て10時前に那覇空港に到着、県庁前ハンストテントに直行した。「遺骨は遺族のもの 戦争基地に投げ込むな」の垂れ幕が中央に掲げられている。4月の厚生労働省・防衛省交渉で日本兵遺族のお孫さんが「祖父は国に従い沖縄に行き言われた通り死んできました。しかし遺骨は家族のものです。国のものではありません」と訴えたことから、今や合言葉となり、県民遺族も日本兵遺族も共通の思いを根底におく闘いのシンボルとして掲げられた。

 島ぐるみ宗教者の会や3月に結成された沖縄のガマフヤー支援の会、東京の日本山妙法寺などが協力して座り込んでいた。具志堅さんは、熱中症になるような暑さが2日目も続きまいっている。緊急事態宣言が沖縄のみ延長され県庁にはほとんど人が通らない。それでも遺族は激励にやってきた。おばあちゃんは「絶対負けられないよ」と具志堅さんと固い握手を交わす。水を持ってくる人、カンパを持ってくる人、皆わざわざ遠くからやってきてくれている。

 昼休み集会で、私は具志堅さんの取り組みを紹介する役だ。「10月からアジア太平洋全域の遺族の鑑定が始まる」などこれまでの成果を話した。「着実な成果を上げてきたんだねえ」と感想が寄せられる。「DNA鑑定は、難しい話ではなく具志堅さんの愛のたたかいだ」と説明する。住職から「『愛のたたかい』はキリスト教みたいだね」と言われた。ガマフヤー教≠ネのかもしれない。《続く》

(「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会 上田慶司)

 
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