2021年07月23日 1683号

【新・哲学世間話(27) 田端信広 エッセンシャルワーカーを考える】

 コロナ禍の社会で、さまざまな「新造語」が作りだされた。エッセンシャルワーカーもその一つであろう。だが、どうもこの語の使われ方には胡散(うさん)臭いところがあるように思う。

 エッセンシャルは、「本質的な」あるいは「必要不可欠な」という意味である。したがって、エッセンシャルワーカーとは、社会の維持・発展に必要不可欠な労働者という意味である。コロナ禍で、とくにそれに該当する職種として、医療従事者、介護士・保育士、それに加えて公共交通の運転手、小売店の店員、さらに地方公務員や銀行員などが数えられている。

 なかでも、身を挺してコロナ患者の世話をする医療従事者の姿に、感謝と敬意をこめてエッセンシャルワーカーという敬称が使われてきたように思う。そのこと自体に違和感はない。だがその反面で、社会は都合の良いときにだけ、この職種の人びとにただ言葉だけの「感謝と敬意」を示しているだけでないのか、という疑問が残る。そういうご都合主義的な敬意は欺瞞(ぎまん)的ではないのか。

 社会全体が本当にこの人たちの仕事を必要不可欠な仕事だと思っているならば、医師はともかく、看護師や介護士、保育士の給料面等の待遇がなぜ低く押しとどめられているのか。この社会はそういう待遇を押し付けながら、都合のよいときにだけ、エッセンシャルワーカーともてはやしているのではないか。給料と待遇を改善してから、そういう「敬称」を使うべきである。

 たしかに、運転手や店員や地方公務員がいないと、一日たりとも社会は回らない。彼らもたしかにエッセンシャルワーカーである。だがそう考えるならば、あらゆる職業が社会の維持・発展には必要不可欠なのである。それは少し考えてみればすぐわかる。あえて言えば、「飲み屋のおやじ」も「小説家」も社会に必要不可欠な仕事である。その意味では彼(女)らもエッセンシャルワーカーである。

 ところが、ここまで書いてきてふと思った。「世の中には不必要な仕事もあるのではないか」。たとえば、高級カジノのディーラーである。こんなものは不必要、というよりないほうがよい。

 どのような職種がそうなのか、一度考えてみるのも無駄なことではない。なぜならば、不必要だと思う仕事を「否定すること」は、われわれの望む社会を「限定すること」だから。

(筆者は元大学教員)
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