2021年09月24日 1691号

【未来への責任(331)釜石艦砲全容伝える資料館再建を】

 今年の3月11日で東日本大震災発災から10年だった。釜石市民の長年の希望が実ってオープンしたばかりの「釜石市戦災資料館」も津波で破壊された。建設に尽力した郷土史家の昆勇郎(こんゆうろう)さんは津波の犠牲になられた。

 平和人権団体は「戦災資料館」の再建を求める申し入れを市長に続けてきた。私たち「日本製鉄元徴用工裁判を支援する会」も2度同席し、資料の提供や朝鮮人犠牲者の認定を働きかけてきた。釜石市民の支援を受け、今年2月に供託名簿や過去帳、戦災直後の公文書等で戦災死が確認できた朝鮮人犠牲者全員の認定が実現した。

 8月4日には、15の市民団体が戦災資料館の再建や戦災遺構の保存、戦災教育の充実などを市に要請した。艦砲戦災で捕虜などの外国人も犠牲になっていることを踏まえた慰霊の場となる追悼碑の建立も要望した。野田武則市長は戦災資料館の再建について、「単独の施設は計画していない。郷土資料館の中で充実させたい」と回答するにとどまったが、犠牲者の慰霊と歴史をつなぐ思いは変わらないことを強調し、「『釜石艦砲戦災誌』を全面的に見直し、改訂版を出したいと考えている」とした。

 戦争を知る人が減る中、釜石市平和委員会の岩鼻会長は「資料館が果たす役割は大きい。再建して歴史をしっかり伝える必要がある」と指摘。「釜石艦砲」の体験者らの証言をまとめた記録映画製作の動きがあると言い、「今やらないと、不可能になる時が来る。子どもたちには平和な世界を手渡したい」と力を込めた。

 釜石市郷土資料館では毎年夏に戦争や平和をテーマにした企画展を開催している。今年は「釜石の捕虜収容所」。捕虜は746人で収容中に死亡した65人のうち32人が艦砲射撃の犠牲となった。『艦砲戦災誌』改訂版には、朝鮮人や連合国捕虜も含めた犠牲の全容が反映されなければならない。

 釜石市内の公園には釜石鉱山での中国人犠牲者を追悼する「日中永遠平和の像」もある。郷土資料館では朝鮮人・中国人の犠牲についても展示で説明しているが、今回の連合国捕虜のように大々的に企画展を打つまでには至っていない。

 世界遺産「橋野高炉跡」を抱える釜石市は、「軍艦島」での朝鮮人強制労働を否定する「産業遺産国民会議」の支援を受けてきた経過もある。8月26日「群馬の森」の朝鮮人強制労働犠牲者追悼碑撤去を容認する東京高裁の不当判決が出される中、「負の歴史」に向き合おうとしてきた釜石市政がどのような攻撃にさらされるか、予断を許さない。今後も市民団体と連携し、戦争の実相を次の世代に伝える取り組みを行っていきたい。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)
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