2021年12月10日 1702号

【さかいみほのじゃらんじゃらんinインドネシアU ジャカルタ編(5) ―華人系の人びとと9月30日(その2)】

 皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。秋を感じる間もあまりなく気温がぐんぐん下がるために、ジャカルタの気候を懐かしむ日々を過ごしております。

 前回1695号の本コラムにて少し触れた9・30事件(1965年)についてさらに綴りたいと思います。

 事件後すぐから翌1966年の半ばごろにかけて、共産党員、シンパ(支持者)、家族に対する大粛清がジャワ島、バリ島を中心に全国で起こりました。

 著名な文学者プラムディア・アナンタトゥールのように当局に「運良く」連行され島流しに合う人びともいれば、当局のみならず一般人によって昼夜問わず日常生活においていわゆる「赤狩り」が行われ犠牲となる人もいました。

 その被害者は、50万人とも100万人とも言われていますが、正確な数字は不明のままです。

 また、国内の華僑・華人や関連機関は共産主義・中国の代理人と見なされ、迫害・攻撃の的となりました。「運良く」中国本土へ渡ることができた華僑・華人(「難僑」と呼ばれる)は、慣れない生活を送るばかりか、文化大革命により資本家階級と位置付けられることとなり、帰還先でも多くの労苦があったのではないでしょうか。

 事件後に実権を掌握し、1968年に第2代大統領となったスハルト。

 その政権下において、中国との関係という観点から見ると、各地の領事館や通信社が閉鎖され、二国間の外交関係は凍結されました。

 国内の治安維持という観点からは、中国名のインドネシア化、華語(中国語)の使用禁止、華人学校の閉鎖など様々な同化政策が取られ、インドネシア国内の華人の社会活動は厳しく制限されることとなりました。  《続く》

(筆者は2020年までインドネシア在住)

ルバン・ブアヤのすぐ近くに建てられた陸軍将校らと国鳥ガルーダのモニュメント
足元には、このような出来事が繰り返されないために、警戒せよ、そして自省せよとの言葉が刻まれています。

 
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