2021年12月24日 1704号

【シネマ観客席/ユダヤ人の私 A JEWISH LIFE/監督 クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマーほか 2021年 オーストリア 114分/決して忘れてはならない】

 ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き延び、100歳を超えてなお語り部として活動した男性のドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』が、東京・神田の岩波ホールなど各地で上映中だ。「国家と人は過去の過ちを忘れている」と訴え続けた彼の言葉は、今の日本社会への警鐘でもある。

怒りで生きてきた

 「多分、怒りが私を生かしてくれたのだろう。過去の記憶を語ることは私が生きている意義なのだ」

 モノクロの画面の中で語るのはマルコ・ファインゴルト105歳(撮影当時)。1913年にハンガリー系ユダヤ教徒の家庭に生まれ、ウィーンで育った。25歳の時にナチスに逮捕され、終戦まで強制収容所に入れられていた。2歳上の兄はガス室で殺された。

 戦後はユダヤ人難民の人道支援に尽力した。10万人以上の難民をパレスチナに逃がしたという。ホロコースト体験を語る講演活動にも精力的に取り組んできた。しかし彼の活動には誹謗・中傷が絶えなかった。

 「くそユダヤ人が文句を言うな。ガスでもっと殺しときゃよかった。ガスは環境に悪いけどな」。こんな内容の脅迫状が2017年になっても届いていた。なぜか。マルコの証言はこの国に巣食う極右勢力にとって、きわめて都合の悪いものだったからである。

 マルコはナチス・ドイツの犯罪だけではなく、自国の歴史認識の欺瞞性も告発し続けた。オーストリアは「ナチスによる最初の被害国」として語られることが多いが、実際にはナチスを歓迎するほど反ユダヤ主義が広がっていた。たとえば、ウィーンの市長は激烈な反ユダヤ主義者だった(若き日のヒトラーも感化されたと言われている)。

 マルコ自身、反ユダヤ主義者の教師のせいで学校嫌いになった経験を持つ。ユダヤ人差別はナチスが生みだしたわけではない。連中はもともとあった差別意識を利用したのである。よってナチスが崩壊しても消えてなくならなかった。

普通の市民が迫害

 1938年3月、ドイツはオーストリアを併合する。凱旋将軍の如く演説するヒトラーに、広場を埋め尽くした群衆は熱狂した。その中にマルコもいた。「人びとの困窮が最もひどかった時にヒトラーがやってきた。彼は奇跡を約束し、誰もが鵜呑みにした」

 興奮した人びとはユダヤ系の市民を道路にひざまずかせ、敷石を磨かせ始めた。唾を吐きかけ、「くそユダヤ人」とあざ笑う大勢の者たちの表情をマルコは忘れられない。「オーストリアでは24時間でユダヤ人から権利がはく奪された」。普通の市民たちがそれに加担したのである。

 戦争が終わってもユダヤ人は邪魔者扱いされた。ユダヤ人や強制収容所の生存者たちは臨時政府の首相の命令でウィーンへの帰還を拒否された。社会民主主義者である彼も「ユダヤ大資本の排撃」を叫ぶ反ユダヤ主義者であった。

 戦後のオーストリアは自らを「被害国」と位置づけることで、ナチスとつるんだ事実と向き合うことを回避した。非ナチ化を進めるどころか、戦時中突撃隊だった人物が大統領になったり、元親衛隊員が国営大企業の重役に就いたりした。

 こうした過去の隠蔽にマルコは抗い続けた。「私の身に起こったことを否定する者がいる限り、語り部の仕事は終わらない」

今の日本と重なる

 本作品はナチス宣伝相の秘書だった女性の証言を記録した『ゲッベルスと私』(2016年)に続く、ホロコースト証言シリーズの第2弾にあたる。4人の監督グループを映画製作へと駆り立てているのは現状への危機感だという。

 クリスティアン・クレーネス監督とフロリアン・バイゲンザマー監督はこう語る。「当時を実体験として語れる人が減る中、欧州のいたるところでポピュリズムが台頭し、再び反ユダヤ主義や人種差別による暴力行為も増えている」(11/18日本経済新聞)。

 これは欧州だけの現象ではない。日本でも、戦争の被害だけを強調し加害の事実をなかったことにする歴史認識の歪みが、歴史修正主義の広がりを許している。史実を歪曲するデマが拡散され、その影響を受けた差別・迫害行為が増えているところも同じだ。

 先日、京都府宇治市のウトロ地区の空き家に放火した容疑で男(22)が逮捕された。ウトロ地区には戦時中、飛行場建設のために強制動員された朝鮮人労働者が住んでいた。子孫の住民たちは歴史を伝える平和祈念館の建設を目指しているが、この火事で多くの資料が焼失してしまった。

 男の供述からして、事件は民族差別にもとづく憎悪犯罪=ヘイトクライムである可能性が高い。しかもネットニュースのコメント欄には、「燃やされても当然だと思う」「朝鮮人が日本にケンカを売っているからだ」といった書き込みが相次いでいる。

 差別意識に凝り固まり、排撃の暴力すら肯定する風潮の広がりは、この国が戦争容認へと向かっている何よりの証拠である。加害の過去の隠蔽は新たな加害への準備行為なのだ。

語り続ける闘い

 「オーストリアでは人々は政治に興味を失い、投票率も下がっています。結果として右翼的な政治家が社会に入り込む隙を与えてしまっている」とバイゲンザマー監督。これまた今の日本にもあてはまる指摘だ。

 マルコは106歳でその生涯を閉じるまで、体験を語ることをやめなかった。それは忘却に対する闘いであった。「決して忘れてはならない。それが、あのような犯罪が二度と起こらないようにする唯一の方法だからである」。この言葉を私たちも胸に刻み、実践していきたい。   (O)



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