2022年1月28日 1708号

【放映禁止になった『明日のハナコ』/原発を扱った高校生演劇が問う権力におもねる大人の醜い姿】

 昨年9月に行われた福井県の高校演劇祭(県大会)。コロナで無観客開催となった。かわりに地元の福井ケーブルテレビが12月に全上演激を放映―ただ1校、福井農林高校の『明日のハナコ』を除いて。

 なぜこの劇だけ放映されなかったのか。劇に問題があったのか。舞台は二人の女子高生ハナコと小夜子の会話劇。劇中劇として描かれるのは祖母ハナコの半生を通した福井地震や原発依存のまちづくり。二人は不条理な世の中を変えようと、それぞれの道を歩む。高校生の不安と希望を表現する、高校生が取り組むにふさわしいテーマだ。

 ところが、上演後すぐテレビ局クルーが反応した。「社内で問題になるかも」。反原発、個人批判、差別用語を懸念しているとか。個人批判、差別とは元敦賀市長が言った「100年後かたわ≠ェ生まれるかもしれないが、今は原発はやった方がいい」や芸能人ビートたけしの「原発は地震で最も安全な場所」放言を批判的に扱ったことを指す。

 こう聞かされた福井県高等学校文化連盟(高文連)演劇部会部会長は「テレビもスポンサーに原発関連企業を抱えているだろうから」、他校の顧問も「高文連も原発からお金もらってますもんね」と納得。

守ったもの 隠されたもの

 ここから、姑息な大人たちの隠ぺいとごまかしの醜聞劇が幕を開ける。まずは理由だ。原発企業への忖度(そんたく)は「差別」反対へと粉飾。

 教育委員会の顧問弁護士は「差別用語を口にするのもダメ」。使ったのは元敦賀市長にもかかわらず(というより「だから」)だ。部会長らは「放映禁止、映像も残さない、脚本回収」と劇そのものをなかったことにすると決めた。

 あきれてしまうのは、「生徒を批判から守るため」との大義名分を掲げたこと。正論を吐けない大人たちが、自らのふがいなさに恥じ入るのではなく、「生徒を守るため」だと取り繕う醜さはいやになる。

 醜聞劇の最終幕。大手新聞が取りあげ、署名が広がるなど一連の措置が社会的反響を呼ぶと、自分たちの犯した罪をすべてなかったことにし始めた。弁護士はアドバイス文書を回収。部会長は「そんなこと言ってない」としらを切り、粗悪な記録映像を公開、脚本も解禁OK―。

 だが、これでは終われない。大団円は、生徒への誠実な謝罪と生徒たちが尊厳を取り戻す笑顔の場だ。

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 表現の自由が問われていると自主上演活動が全国に呼びかけられている。原発県福井の特殊事情ではないことは確かだ。権力支配に身をゆだね、進んで良心にふたをしてはいまいか―大阪の上演会(1/15)に行き、そんなことを考えた。(T)

【問い合わせ】
上演実行委員会(iszypv4485@yahoo.co.jp)

鈴江(080-2190-4535)

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