2022年02月11日 1710号

【時代はいま社会主義へ 第15回 帝国主義論(2) 資本の過剰と新自由主義】

 前回(第14回)の末尾で、帝国主義は植民地支配や侵略戦争といった軍事的形態で表出されるだけでなく、今日では新自由主義という形態をも採っていると述べました。帝国主義国による戦争や武力行使は、2001年のアフガニスタン戦争、2003年のイラク戦争のように21世紀の今でも続いています。ただ、それと同時に帝国主義は20世紀末から、規制緩和や民営化といった新自由主義の政策としてもたち現れるようになりました。今回はこの点をお話しします。

 前回で述べたように、レーニンが指摘した帝国主義の5つの指標のうちで最も基礎的なものは独占資本主義の成立です。その独占資本主義においては「資本の過剰」が不可避的に生じてきます。なぜなら、巨大化した独占資本の手には巨額の利潤が入り込むのですが、その利潤を有利な仕方で投資する場所や領域が見いだせなくなっていくからです。レーニンは『帝国主義論』の第4章でこう述べています――「資本主義が資本主義であるかぎり、資本の過剰はその国の大衆の生活水準の引き上げには向けられない。なぜなら、それは資本家の利潤を引き下げるからであり、資本の過剰は資本の海外への、後進諸国への輸出によって利潤を引き上げることに向けられる。これらの後進諸国では、利潤は普通に高い。なぜなら、資本は少なく、土地の価格は比較的に高くなく、賃金は低く、原料は安いからである。〔中略〕資本輸出の必然性は、少数の国々では資本主義が『爛熟(らんじゅく)し』、資本にとっては(農業の未発達と大衆の貧困という条件のもとで)『有利な』投下場所がないということによってつくられる」。

 資本の過剰はこうして、レーニンが帝国主義の3つ目の指標として挙げた資本の輸出を引き起こします。そして、輸出された資本の安全を確保するための最も確実な方法は19世紀においては植民地支配だったのであり、第1次世界大戦は植民地の再分割をめぐる帝国主義列強間の戦争でした。

 第2次世界大戦後にアジアやアフリカの旧植民地が独立国となって以降も、帝国主義国による資本輸出は続けられてきました。しかし今日のグローバルな独占資本主義は、その巨大な資本の過剰を資本輸出だけでもって解消することができなくなっています。収益のあがる新たな投資先を開拓しなければ、独占資本といえどもグローバルな競争において生き残ることができません。そこで1980年代に登場してきたのが新自由主義です。

 新自由主義とは、公共の福祉の保障や環境保護といった理由から資本がこれまで参入することのできなかった領域――通信、郵便、交通、医療、社会福祉など――を、政府の政策によって利潤追求の場へと無理やり転換しようとする運動です。つまりそれは資本輸出とともに、資本の過剰を解消しようとする帝国主義的な策動の一環をなしているのです。

 この策動は21世紀においてはさらに、デジタル資本主義やグリーン資本主義という新たな形態において、個人情報や地球環境保護の領域をすら独占資本の〈植民地〉に、すなわち略奪と利潤追求の場に造り変えようとする試みとなって現れています。人類と地球を破滅へと導きかねないグローバルな帝国主義を克服するには、利潤追求を自己目的とはしない社会主義の途を採るしかありません。(終わり)
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