2022年02月11日 1710号

【さかいみほのじゃらんじゃらんinインドネシア/ジャカルタ編(6) インドネシア華人の立ち位置】

 皆さまお元気でお過ごしでしょうか。新しい変異株が猛威を振るう中、窓の外を眺めると一面の雪。日本の冬はこんなに雪が多かったかなと少し驚きを隠せない日々です。

 引き続き華人のお話です。これはジャカルタに限ったことではありませんが、インドネシアの華人というと「政商」「コングロマリット」「資本家」のイメージを持たれる方も多いと思います。これまで見てきた「暴力の的」「二級市民」という相反するイメージにもかかわらず、です。

 スハルト政権が始めたことは、まずは中国との外交関係の凍結でした。そしてインドネシア国内では華人に対する厳しい同化政策が取られ、インドネシア国籍取得の整備も進められました。一方で、中国本土においては、内政の変化(文革終息?改革開放路線へ)に伴い、反動政府に抵抗するための華僑・華人から、本土建設に助力する華僑・華人へと、政策方針が転換していくこととなります。

 そんな中、中国との通商関係の構築(による新たな外貨獲得)をスハルト政権は模索します。そこで両国との橋渡しと期待されたのが、本土の方針転換でインドネシアにとってもはや「脅威」ではないとされた華人資本家でした。

 また、オイルショックによる石油価格の下落で、石油に依存していたインドネシア国家財政が悪化すると、インドネシア政府は規制緩和や金融改革を実行しました。そこで、民間経済の底上げ・経済開発への協力を期待されたのも華人資本家でした。

 二国間の思惑のもと、こうしてインドネシア華人資本は発展していきました。(続く)

 ご参考までに、この辺りの経緯を含めインドネシア国家から見た華僑・華人とその政策の展開は、『国家と華人 インドネシアの「チナ問題」』(相沢伸広 書籍工房早山 2010年)に詳しく論じられています。名著です。

(筆者は2020年までインドネシア在住)

食いしん坊なら誰でも知っている「山東餃子」。1968年グロドック・オールドタウンにて創業の店
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